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NHKテレビで脳低温療法の放送があったのが1997年2月5日(当時は脳低体温療法と言っていた)。私の長女(あーちゃん 当時5歳)は、その20日後の2月25日に事故に遭った。娘に行われた脳低温療法が最新医療だったと知ったのは、この子の意識が戻った後だったが。
ブレーキがかかっていなかったワゴン車が、下り勾配の道を無人のまま進み、側溝にタイヤを取られて脱輪し、高さ60cmほどの石垣に寄りかかるようにして、車は止まった。 歩いていた娘は、その車と石垣の間に挟まれた。
「ママー」とひとこと言って、意識が途切れた。私はすぐ近くの友達の家に走り、救急車を呼んでもらったが、友達もあわてて、最初は110番に電話してしまった。それからかけなおしたので、119番をかけるまでに3分くらいかかった。(消防署の)119番通報受信から救急車到着まで12分かかっていたらしい。
この間、私は道行く自動車を止め、助けを求めたが、重いワゴン車を上げて、娘を出すためには、多くの男手が必要だった。 しかし田舎の平日の昼間。なかなか車は通らなかった。5人がかりで車を持ち上げた時、娘の顔は、うっ血した時の斑点でびっしりと覆われていた。心臓・呼吸停止7分以上で、鬱血痕は出始めるらしい。救出後、道路に寝かせ、心臓マッサ−ジとマウス・ツ−・マウスを行った。救急車が到着したのは、応急処置をはじめてから2〜3分後だったと思う。119番通報から病院到着は23分後だった。救急車のなかで搬送中に、無線でDOA(dead on arrival=来院時心臓停止)と話しているのが聞こえ、私は「だめだな」と力が抜けた。
初診時の状況は、「外傷及び、骨折、内臓の損傷などは無し」「心停止、呼吸停止、全身チアノ−ゼ」「両側瞳孔散大(直径6mm)、対光反射消失、意識レベルはグラスゴー・コーマ・スケール3の最重傷、手足は先までつっぱった除脳硬直状態」で、命が助かる確率は数%以下という状態だった(CTスキャン=事故直後、45日後、2年8ヶ月後、そしてMRI=事故2週間後、2ヶ月後、2年9ヶ月後、これはStep step step !あ−ちゃのホ−ムペ−ジのなかで{入院編 参考 レントゲン}に公開されているページです)。
ところが、病院のドクターは以前から脳低温療法に関心を持っていて、この救命治療法が当院でもできないかと検討を重ね、医療会社から必要な器具を借りてきていたというのだ。ドクターは「ほかの方法では助からない。脳低温治療法をやるしかない」と思ったそうだ。
「命が助かる確率は数%。助かっても植物状態かもしれないが・・・」と主人に説明があり、病院到着後2時間後からこの治療法を開始。この病院で脳低温療法を適用された第一号患者になった。
脳低温療法の説明は「水で冷やしたアイスノンの様な2枚のマットに挟んだ状態で寝かせ、温度が下がった血液が体を巡る事によって脳の温度も下げ、32℃で3日間保ち、体を冬眠状態にすることで脳を休ませ、脳の回復を待ちます。状態を観察しながら、その後、1日0.5℃ずつ復温する予定です。この3日が山でしょう」ということだった。
娘は年齢よりもかなり小柄だったため4才の時に、この病院の小児科医にかかり、検査の結果、「成長ホルモン分泌不全性低身長症」と診断され、ホルモン治療を受けられることになり、公的扶助による成長ホルモンの家庭内自己注射を行っていた。事故の翌日、この小児科ドクタ−に、「もう、ホルモン注射どころじゃないですね」と、ぽつりと言ったところ、突然、ドクタ−が立ち上がり、「そうだ! あ−ちゃんは、GH療法(成長ホルモン投与)をしていたんだ!やめることはないよ。成長ホルモンには、免疫力を高める効果があるという論文があったはず。脳外科の手術などでは、取り入れてる所もあるんだから。低体温に取り入れる価値はあると思うよ。仮に効果は無いにしても、害にもならないんだからね。僕から脳外科の先生に言ってみるよ」。
夕方、早速ICUの看護婦さんから電話があり、「あ−ちゃんの注射器と薬を持って来てください」言われた。小児科のドクタ−の提案を、脳外科ドクタ−が受け入れたのだ。
脳低温治療法で体温を下げると免疫力が低下し、復温時に肺炎になり死亡する確率が高くなる問題があるそうだが、この子はその問題はスムーズに乗り越えられた。“脳低体温療法の一番のリスクである免疫力の低下には、GH療法(成長ホルモン投与)が有効”、という論文発表についての新聞記事が掲載されたのは、娘の脳低体温療法が行われた、翌月のことだった。
事故から4日目、前日からみられ始めた尿量の減少が顕著になり、突如、排尿が停止した。この日の尿量は、1日22ml。低体温に合併した急性腎不全か、それとも、脱水のためか。判断に迷う、最大のピンチだった。ドクターはいろいろな検査をした結果、補液量を増やし、体温の復温を図る決断をした。
ひなまつりの数日後の面会の時、「昨日、目を開きましたよ。」と報告が看護婦からあった。事故から11日目、人工呼吸器を外し自分自身の力で、呼吸ができるようになった。この日の回診時、ドクタ−が、「年はいくつ?」と尋ねたら、手を出して開こうとしたそうだ。
「あ−ちゃん、お母さんだよ・・・。わかる?」と声をかけると、かすかに頭を動かした。あの時の喜びは、一生忘れない。自分のことを母親だとわかった。子どもは、生きていてこちらの働きかけに反応するだけで、それだけで充分なんだ、と知った日だった。私の事を、母と判ったという当たり前の事が本当に幸せに感じた。今後の、この子のすべてを受け入れる事ができる、と思った。
14日目に、幼稚園の様子を録画したビデオと、ディズニ−のビデオを持っていった。園児のビデオでは、いろんな名前を挙げると、年上の子や年下の子もちゃんと識別できた。ディズニ−の短編コメディを見せてあげると、初めて声を立てて笑った。ドクタ−に「あ−ちゃんの記憶はしっかりしてます」と言ったが、信じてはもらえなかった。私達には反応しても、この日までは、まだ医療スタッフに対する反応は、なかったらしい。
15日目、看護婦さんから、「プリンを買ってきてあ−ちゃんにあげると、自分から口を開けてにこにこしながら5口食べましたよ。」と、嬉しそうに報告があった。
16日目、流動食が出始め、口からの三度の食事を開始。
17日目の朝、「ICUを出て個室に移るので、病院に来て下さい」との連絡がある。
個室に入った日から3日目くらいに、娘の様子が、どんどん暗くなる。ICUにいたときには、看護婦さんを困らせることもなかった娘が、ドクタ−の言うことを聞かなくなった。「足動くかな?」「あ−ちゃんは何歳かな?」と質問や支持を出しても、顔も見ようともせず、無視を決めていた。お見舞いに来てくれた人にも、笑顔を見せない。
次の日、ドクタ−が退室した後、私は思いきって娘に話をした。あ−ちゃんが動けないのは病気じゃないんだよ。風邪とかとは違って、寝ていれば治る訳じゃないの。自分で動かそうと思って頑張らないと、このままずっと動けなくなっちゃうかも知れないんだよ。ず−っと、このままなんだよ。あ−ちゃんが、つらくて何もしたくないのも解るけど、このままでもいいのかな? あ−ちゃんがいいんなら、お母さんこの先ずっと、おむつも変えてあげるし、ご飯も食べさせてあげるし、あ−ちゃんのお世話、みんなしてあげる。でも、それじゃ、保育園も行けないし、小学校にも入れないし、お嫁さんにもなれない。それでも良いのかな?」。まだ5才の娘は、酷な言葉だったと思う。娘の表情が見る見る変わり、入院してから初めて号泣した。言葉にならない声で、「イヤだ・・・、イヤだ・・・。あ−ちゃガンバル・・・、あ−ちゃガンバル・・・」と言いながら、10分以上泣き続けた。
この大泣きの日から、娘はハイテンションな子になった。事故以前は、5歳ながら妹たちの面倒もよく見てくれる、いわゆる「良い子」で、でもどこか冷めて、控えめな女の子だった。それが、あの「大泣き」からガラッとかわり、わがままを言ったり、かんしゃくを起こしたり。大きな声で笑ったり。喜怒哀楽がはっきりして、他人の懐にも自分から飛び込んでいくような、人なつこい、本当に子どもらしい女の子になった。“陽の精神が、脳の回復とっての妙薬である”と後になって知った。
関節は固まり、動かなかったが、痛みで泣かせながらも関節をほぐすため、自主的にストレッチを行った。関節の可動域が増すと、少しずつ動かすことが出来るようになった。
37日目、ふらつきながらも、なんとか独りで、数歩 歩くことができるようになった。
42日目、初めての外泊許可がでて、久しぶりに自宅で眠った。
4月末日、2ヶ月の入院生活を終えて、退院。
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あーちゃん |
退院後はリハビリのため医療福祉センタ−へ5ヶ月間、単独入院。翌春からの小学校入学問題に、私たちには、教育委員会に3種類の提案をした。「地元の小学校に入学し、副担任をつけてもらう」「K小学校で普通学級に入り、不利な科目は特殊で個別に受ける」「地元の小学校に肢体の特殊学級を設置してもらう」。結局、肢体不自由児のための特殊学級を設置することも、副担任をつけてもらうこともできなかったが、地元の小学校の普通学級に入学できることになった。
時には、娘の歩き方をまねする子もいたが、娘は明るい笑顔で、上級生の人気者になり、楽しく学校生活がスタ−トした。周りのみんなに付いていきたいという気持ちからか、いろんな事にも挑戦し、頑張るようになり、できることも増えた。現在ではおおきな問題もなく、学校生活を送ることができている。
インターネットに接続した1999年当時、検索エンジンで調べても、脳低温療法については、医療関係者が見るようなページだけで、素人に判るページはなかった。「一人でも多くの人が助かるように、この治療法があることを知ってもらいたい。あの日の自分と同じような思いをしている人に、娘の事を知って貰いたい」という思いから、1999年12月「Step step step !あ−ちゃのホ−ムペ−ジ」を開設。翌1月にヤフーに登録(脳低温療法で検索してください)したところ、不慮の事故に遭った多くの方からメールをいただくようになった。特に多かったのが、水の事故のお子さん。それも脳低温療法をやっている病院でも、その治療法を受けていないケースが多かった。
確かに、この治療法を開発した日大の林教授も「幼児への、この治療法の適用は注意しなさい」と言われてると、柳田邦男氏 著の「脳治療革命の朝(あした)」にもある。内臓機能の安定していない幼児では、体温管理が難しい面もあるからだそうだ。
脳低温療法は、どんな場合でも助かるわけではない。これまで死ぬしかなかった人のなかで、助かる人が増えるということなのだ。
「脳低温療法をやって命は助かったが、植物状態や重度障害になってしまう」事例もある。植物状態になると、夜間にも吸入しなければならないなど、介護する親にとっては肉体的に相当ハードだろうが、当の親にとっては“生きているだけでも充分”なんだという。「重度障害になって、生きていて何の価値があるのか」と思う人もいるかも知れないが、親にとっての子どもは、「死んだことと比較すれば生きていてくれるのは幸せ」なのだ。生きててくれれば「どうすれば、この子が楽しく生活できるのか」を考える。幼い子どもには、その後の可能性も存在する。
そういうのを考えると、もっと脳低温治療法が普及してもらいたいと思う。
私の住んでいる隣の校区で、昨年、男の子がロープの遊具で首吊り状態となり、より近い隣町の病院に救急車で搬送された。蘇生時の状態は、娘よりも良かったらしいが、意識が戻ることなく、6日後に心臓死を迎えた。搬送に時間がかかっても、脳低温治療ができる町内の病院に運んでくれたら、命は救われたはずだと思う。救急車で運ばれる時の運次第(どの病院に運ばれるか)で、生きるか死ぬかが決まってしまう現状では、その死は納得がいかず、悲しみが増すだけだ。
この事故から2日後に、「こういうケースの時は、うちの病院に運んでくれ」という消防署員に対する講習が、娘の搬送された病院で計画されていた。講習会が、もう数日前に行われていたら・・・と思うと、無念でならない。
脳低温療法は受傷後、6時間以内に行うと効果が期待できるらしい。6時間以内だったら、日本のほとんどの場所で、設備のある病院に搬送できるのではないのだろうか? 救急車と救急病院との連携さえ取れていたら。頭部外傷、心肺停止の患者は、この治療法に適用外とされる「心臓が弱い」「免疫力が低い」以外は、脳低温治療設備が空いている病院に運ぶようにしてもらいたい。
臓器移植の時はへりやジェット機とか使っているのに、どうして救急医療では使用できないと言うのか。何もしないと、奇跡は起こらない。もっともっと、人の命を救う努力をしてもらいたい。
1998年10月(事故から1年7ヶ月後:7才)、週1回のピアノのレッスンを始めた。親指と人差し指しか動かなかった娘が、2年経った今は、ゆっくりながら、両手で簡単な曲を弾けるまでになった。「脳の成長は生後7年まで」とか「リハビリで改善効果が出るのは2年が限界」とか言われているが、そんなことはないと思う。子どもはやればやっただけ成長していく。子どもはどんな可能性も秘めているのだから。
脳低温療法を行うと、その甲斐もなく「脳死」になっても、内臓の機能が低下してしまうため、その臓器は移植には適さなくなるという。誰もが脳低温療法を受けられるとなると、臓器提供を申し出ても、治療後の臓器は使用出来ないということも起こりうる。
心臓病を持つこどものお母さんに、このことを問いかけたところ、「でもやっぱり、その時できることを行うことが大切」と話してくれた。植物状態になってしまった娘を持つ、あるお父さんは、「僕は家族が脳死状態になっても治療を止めたりはできない。脳死状態で火葬はできないだろう。だったら、脳死が「死」である訳がない。周りの人間の気持ちも踏まえたら、「脳死」を人の死だと決めつけることができるはずない。子供の脳死には反対だ」と言っていた。
後遺症を恐れずに、命を救うことに全力を尽くしてもらいたい。植物状態であろうと、重度障害が残ろうと、子どもの命は存在するだけで、家族の光となるのだから。
臓器提供には、思い残すことが無い信頼できる医療を受けられることが前提だと思う。脳死の法律を作る前に、まず命を救うための救命救急医療体制を、国をあげて整えて貰いたいと願っている。
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