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1、経過の概略

T期:脳死寸前からの救命 1999年8月22日〜2000年1月7日

1999年
8月22日 0:10am
 仕事を終えてオートバイで帰宅途中、交通事故で脳挫傷、意識不明で大阪府立病院救命センターに搬送される。
レントゲンやCT検査の結果、重症脳挫傷および右上腕骨骨折と診断。脳死寸前の状態が確認される。右瞳孔散大、脳波フラット、脳幹反応確認。救命のため直ちに穿頭して脳圧センサーをはめ込む。脳低温治療開始。急変の可能性があり、家族は常時待機。

 8月23日 長期呼吸管理のため気管切開術、脳圧および脳への血流のコントロール良好。

 8月26日 脳圧上昇、薬による脳圧コントロール再度挑戦。

 9月 1日 瞳孔の所見が改善。

大阪府立病院で撮った
写真を見せる花岡さん

クリックすると大画面が出ます。

花岡信子・大阪府立病院.JPG (187038 バイト)

 9月 3日 脳圧コントロールの薬停止、センサーを抜く。

 9月 6日 家族の待機が解除。

 9月13日 右腕上腕骨 額皿的骨接合手術(全身麻酔)

 9月15日 目をしっかり開けていた、発熱続く。

 9月20日 呼吸器をはずす。連日、発熱が続く。

10月 1日 水頭症手術、PVシャント術硬膜下水腫除去。手術の経過は順調なのに熱は依然として続く。筋肉が硬直して曲がらなくなった腕や足などのりハビリに根気良く励む。

10月25日 ついに救命センター脱出、65日ぶり。しばらくはナースステーション前の個室観察室。
 微熱は続くが、多数の管や計器類もはずれて、毎日車椅子の散歩や、週3回シャワーで体を洗ったり、手足のリハビリをしたり、 穏やかな日々が続く。
 転院の問題が本格化してくる。医真会八尾総合病院を希望。外来で脳外科部長および看護婦長と面談し、何とか受けてもらえることになる。連絡がくるまでべッドの空き待ち。

12月 9日 4人部屋に移る。リハビリで起立訓練をはじめる。ジュースやゼリーを食べさせるが、発熱時はドクターストップになるのが残念。

 

U期:転院 医真会八尾総合病院へ 2000年1月7日〜4月14日

[府立病院の担当医による診断書の内容]

傷病名:瀰漫性脳損傷、遷延性意識障害、右血胸、肺挫傷、肝損傷、右腎損傷、右上腕骨折、左鎖骨骨折、右肩甲骨骨折、右多発肋骨骨折、水頭症、中枢性尿崩症、左腎結右、尿路感染症、等。

治療経過:重症頭部外傷と多発外傷で救命センター直送。脳圧呼吸循環管理にて、脳死は免れたが、遷延性意識障害持続。脳圧センサー留置術、気管切開術、右上腕骨観血的接合術、続発性水頭症に対し脳室・腹腔シャン ト術施術、持続導尿、経管栄養、ベッド上生活で、現在も植物状態が持続している。

 

医真会八尾総合病院での入院方針

 脳外科として治療対象ではないので本来転院を受けないが、看護部長や婦長の強い応援で、在宅介護に向けて指導訓練する方針で入院。3ヶ月あまりの入院期間中に、母親は介護の仕方を経験し、同時に自宅ではバリアフリーの改造工事(3週間)や、在宅介護支援制度、訪問看護の手続きなどを準備する。
 その後は落ち着いた状態が続き、若いからだの体力の回復に驚きつつ、今後の改善に大きな期待を抱いた。

 

V期:在宅介護 家族と共に過ごす日々 2000年4月14日〜5月17日

 4月14日 退院。車椅子仕様に改造した自家用車[健ちゃん号]で帰宅。約一ヶ月、春の穏やかな気候の中、平和な暮らしが戻る。
        週に―回、リハビリ通院
        週に―回、訪問看護
        週に四回、自宅で行う母親の英会話教室に車椅子に座って同席
        時折、車椅子で 「健ちゃん号」に乗ってドライブ

 介護の方法としては、経管栄養―日3回、おむつ交換、車椅子でシャワー。 ポータブルの吸入、吸引器を用意していたが、あまり頻繁に使う必要はなかった。起床時に気管切開部の消毒。―日数回体温測定。その他は特になし。

 植物状態とはいえ、車椅子に座り、昼間はしっかり目を開けて起きている姿を見ていると、どこかで全て分かっているけど反応できないだけなのではないかと思えた。もう―歩、意識を呼び戻そうと祈りつづけた。

 5月16日 自宅で専門学校時代の仲間13人が集まって同窓会

 5月17日 数日前から繰り返し発熱があり心配していたが、とうとう40度を超す高熱に、緊急入院。再び医真会八尾総合病院へ。

 

W期:壮絶な生きる闘い 2000年5月17日〜10月7日

 救急の診察で熱性痙攣と診断される。抗けいれん剤や抗生剤を点滴。40度以上の高熱を抑えることができない。血液検査、髄液検査、血液培養、レントゲン、CTなどで、原因探求に努める。体温調節機能が働かない。頻呼吸、発汗、右上肢けいれんから全身に力が入り硬直。

  ヘルペス脳炎の疑いと、中枢系の発熱と考えられるが、高熱をコントロールすることができず、突然の40度以上が、何度も、何週間も繰り返し起きる。

 毎日、自宅でも冷凍庫で氷を作り、保冷剤を凍らせて、病院に持っていって傍で体中を冷やしてやるしかできない。夜通し、氷で冷やすこともある。

 8月10日 腸管感染による茶色の水様下痢、全身の筋肉に緊張なく、血圧70に低下。敗血性ショックと診断されきわめて重篤。血小板数値0.9。これ以降、血液検査を頻繁に行いながら輪血を繰り返す。

 日を追うにつれ、血性痰、肝障害、腎結石、混合感染などが現れて、輸血を繰り返しても数値は改善しないばかりか、内臓からの出血が腸管を通って排出。胃カメラで、胃や十二指腸などの内壁粘膜が、全体的に爛れている事が分かる。血管も細胞もボロボロになり、満身創痍になっても黙ってひたすら生きている。

 ついに肺で大量出血が起こり呼吸停止、10月7日午後3時10分。

 

2、脳死による臓器移植に思うこと

  • 脳死に至ったらもう助からないのだから、臓器移植で人を救うことができるならとドナーカードや骨髄バンクに迷うことなく登録した長男の純粋な意思。
     
  •  医療関係者に強い反対意見が多いことに非常に大きな衝撃を受けた。
     
  •  一般の人達が十分な認識ができていないまま、良い点ばかりを強調してアピールしている。臓器移植に対する意思があまりにも軽く扱われているのでは。
     
  • 実際に医療現場では、医師らの判断次第で生死が決まりかねない。それは何をおいてもあってはならない。わずかな可能性であっても救命治療最優先。

 

3、今年1月に82歳で逝った父の「死に方」から

  生ける時も、病める時も、死にゆく時も、できる限り自分の意志を持ちたい。いのちが生きているというのは、その人の存在の全て、全体を捉えて考えるべき。 父も息子も、植物状態であろうと、意識がなかろうと、死が目前に迫ろうと、最後の最後まで、非常にその人らしい姿だと感動を覚えた。

 脳や心臓などという体の一部だけで、生きている意味を決めることはできない。死は生の延長線上にあり、敗北でも、忌むべきものでもない。不安や恐怖に押しつぶされず、病気について知る努力と、死を避けずに直視する勇気をもって、残された機能で、残された時間をどう生きるかを考えていきたい。

 


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