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「交通事故による頭部外傷のため日本医大病院に入院していた20代女性が、3月26日午前8時39分、臓器移植法に基づく脳死と判定された。女性は脳死で心臓、肝臓などを提供する意思を示したカードを所持しており、家族も提供を承諾。日本臓器移植ネットワークが患者を選定し、大阪大が心臓移植を実施、北海道大が肝臓移植を行なった」という報道が共同通信からなされた。
2001(平成13)年2月26日の臓器摘出後に(社)日本臓器移植ネットワークが表題「第13例目の脳死下での臓器提供事例について」のような発表をしている。それによれば、
「ドナーの方は・・・脳死下での臓器提供の意思を表示。提供臓器として心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸に○があった。記載時期は平成11年3月」という。
そして第―回法的脳死判定は、2月25日21時29分から2月26日0時26分まで。第二回脳死判定は、2月26日6時33分より8時39分までであったと。それぞれ 「判定基準を全て満たしていると判定された」という。
これらの発表された内容から、ドナーとなった患者はちょうど2年前、高知での「脳死からの臓器提供第―例」となった熱狂的な報道の直後に臓器提供の意思表示をしたと思われる。始めのころに比べると、ネットワークの発表も随分と簡略になったし、新聞の記事も、まったく小さくなってしまっている。これは世の中の関心が薄れたというよりも,発表される内容が制限され乏しくなったためであろう。
ネットワークは患者の外傷の原因が交通事故であったことも発表しない。「移植ネットの森達郎理事は『提供は今年に入って既に3例。移植医療への理解が広がってきたのかなと感じている』と話した」と共同通信の記事にある。しかし提供者の意思は奇妙な興奮下での報道に扇動されたようであって、その後で「第―例が脳死判定の時に中枢神経抑制剤を投与されていた」といった過ちなどは(今回のドナーも)考慮していないようである。
「移植に理解」というが、提供臓器で角膜に○がされていないのも理解に苦しむ。また臓器提供が今回のような交通事故に頼っているようであれば、その将来は誠に暗いものである。道路を整備し、速度を規制して交通安全を守らせ、安全な車に乗るようになれば、臓器提供者も減少するからである。
また救急医療においても疑問がある。肝臓移植手術を行なった医師が「移植した肝臓は交通事故の影響で2か所から出血していたが、手術中に出血も止まり順調に機能している」と述べているからである。つまり、ドナーとなった患者は肝臓から出血しているままで「脳死」判定をされたのであって、これは「原疾患に対して行い得るすべての適切な治療を行った場合であっても回復の可能性がないと認められる者について行うものとする」 (法律施行規則第二条)に違反している。
また脳死判定の竹内基準にある「前提条件、あらゆる適切な診断的・治療的処置が完了していること」にも違反している。救急治療をおろそかにして「脳死判定」を急いでいるのは、救急医に「移植医療への理解が広がってきた」のでなく、日本の救急医療のお粗末さが明らかになっただけである。
臓器移植法施行後に実際に臓器移植のために行なわれた「脳死」判定例について検証した。1997年10月16日より実施されて1999年は4例、2000年はこれまで(2000/9/23)に5例(うち移植のための臓器摘出は4例)の患者に対して「脳死」判定が行なわれた。
2000年3月の第5例目は20歳代の女性で、脳死判定後に警視庁による検視が行なわれていることなどから、例えば首吊りのような「自殺企図」が伺えたが、治療していた病院からも臓器移植ネットワーク側からも「脳死」とされた患者の病気については発表されなかった。
第6例目は秋田の40歳代の女性で、4月に血腫を伴う重篤な、くも膜下で3日目に「脳死」と判定された。患者の臓器は肝臓だけが京大で移植に使われた。
第7例目は4月にやはり50歳代の女性で、運転免許に貼ったシールが意思表示とされた。この例は入院していた杏林大から病名など―切の説明がなされず、またテレビ報道に際しても臓器運搬のためのコンテナを映さない、との注文がなされた。
第8例目は60歳代女性で、脳死判定中に筋肉弛緩剤が残っているとのことで「脳死」判定の検査が中断され、結局は移植に適さない臓器となってしまい、移植はなされなかった。
第9例目は10代後半の女性で、事故による外傷性くも膜下出血の患者であった。この例は臨床的脳死診断の後、8時間後の法的脳死判定の時に、判定医の一人が「脳幹機能」の一つである咳反射があるとして脳死判定が中止された。この例は4日後に再び「脳死」と判定されて心臓・肝臓などが摘出された。これらが2000年になってから臓器提供された「脳死」例である。
これらを概観して言えることは、臓器移植法の前提である「(ドナーに対して)あらゆる医療を施した後に行われるもの」という原則が守られず、臓器提供者の治療がなおざりにされていることである。
第7例などは患者の病名も治療も説明されないために、検討のしようもないが、第5例はそれまで「うつ病」で他院にかかっていたとのことであり、「自殺企図」なら精神安定剤を服用していた可能性があるので「脳死」判定の除外側となる。この例は翌日未明に自発呼吸がみられ、回復の可能性もあったのに早々に「脳死」とされた。
さらに第8例のように臓器移植ができなかったとの報道機関からの非難に対して、担当医が「脳死判定に時間をかけ過ぎだ、という批判は納得できない」と反論した。「われわれの役目は、良い状態の臓器を取り出して提供することではない。100時間かかろうが・・きちんと脳死判定しろというのが、社会全体の要求だったはずだ」と、医師として当然の説明をする羽目になった。
第9例については、外傷による脳損傷に対して脳低体温療法など充分な治療が尽くされなかったとして、9月13日に入権救済申立がなされた。これに添付された私の意見書の中で、「脳死」判定の根本に関わることがある。それは無呼吸テストを除いた臨床的脳死診断で検査された脳幹機能は停止と判定されたのに、8時間後の臨床的脳死診断の時に「咳反射」という脳幹機能が残っていたことである。そうなると、もちろんこの例は「脳死」ではなかった。つまり―度は咳反射が無くなっていたのに、8時間後に回復したということは、脳幹機能を検査するために「脳死判定基準」で定められている6時間では不十分だということである。
これについては二つの問題がある。一つは最初の「脳死」判定が杜撰であって、咳反射が残っていたのを見逃していたこと。もう一つは「脳死判定基準」そのものが脳幹を含む脳機能の喪失について検査できないことである。「脳死」判定をするに当たって、この初めの問題は「人間がすることだから過ちを犯すものだ」と、許容できるものとする考えがある。今のところは、充分に治療された後に「脳死」と判定されると、患者にはもはやいかなる神経反射もなく呼吸も戻らないということで家族もあきらめて、臓器移植の意思を生かすために患者を殺しても良いとしているのである。
しかし此処で、充分な治療もなされず、また「脳死」判定も杜撰で神経反射の存在を見逃しているのであれば、それは臓器移植法制定の時に危惧された「医療不信」を増やすことになるだけである。 あるいは、専門知識を持った経験ある医師が確実に脳幹反射なしと判定したとすると、この第9例で喪失していた脳幹反射が8時間後に復活したということは、「脳死」判定基準の最後の項目「6時間経過をみて」とする再検査の意味がないことになる。これは従来から私が主張していたことであって、「脳機能の不可逆的な機能喪失」の判定はできないことになる。
神経学の教えるところによれば、機能を停止している神経は、何時間も経て再び活動することもあり、また機能喪失となることもある。このことは「脳死」を判定する医師にとっては常識なのであって、6時間後に神経反射がないからといって神経機能がこれからも永久に戻らないとは言えないのである。
以上のことから明らかなように、「脳死」判定は嘘とごまかしに基づくものであり,専門の医師にとっては「裸の王様」である。2000年8月に「脳死患者は移植のために臓器を摘出されるときに痛みを感じるという報告が英医学誌に掲載された」とロンドンの新聞が報じた。これも当たり前であることが高知の第2例でも分かっていたことである。
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