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改悪反対派のみなさん、お疲れ様でした
どとうとしや
−ご協力ありがとうございました−
「臓器の移植に関する法律」改悪をやめさせるために、ビラ作成、ビラの配布、集会設定、集会参加、インターネット上での書き込み活動、いろいろ動いて下さった方、どうもありがとうございました。ここに、最大限の感謝を表します。
ウィキペディア「脳死」について、「脳死判定された患者の意識回復例」などを復活させようと編集して下さった方々にも、お礼申し上げます。私も、仕事を少し休んで、いろいろ改悪阻止の方向で、いろいろ動いてましたが、多忙なところ時間を割いて取り組んできた方々に、敬意を表します。また、最悪改正案に反対の投票をして下さった議員の方々に、感謝の意を表します。 「『脳死』臓器移植に反対する関西市民の会」「死体からの臓器摘出に麻酔?」の貴重な資料をまとめて下さった方々に、心よりお礼申し上げます。
最悪法案可決は非常に残念ではありますが、改悪反対に動いて下さった方々への感謝の気持ちは、非常に大切であります。
−最悪法案可決についての私なりの分析−
「長期脳死」の事実が、テレビなどで取り上げられました。また、国会の論戦で、「長期脳死」は日本の「法的脳死判定」を受けていないという情報が虚偽だと暴露されてしまいました。残念ながら、それでも、少なくない民主党の代議士の方々も含めた賛同を得て、最悪案が可決となりました。
「『脳死』患者においての、情動の座たる視床下部の生き残り現象」「脳死判定された患者の意識回復例」などの貴重な情報が、あまり有権者や議員に熟知されていたとは到底思えませんが、どうなのでしょうか?テレビ局および新聞社としては、臓器移植推進派の意図を反映させつつも外見上民主的な国民的議論の末に年少者からの臓器摘出ができるように法律改正するのを狙って、「意識回復例」その他の重要情報を隠蔽したものと思われます。「長期脳死」の存在が、脳死移植を支えてくれるはずの世論に、ここまで波紋を呼ぶとは、臓器移植法改正を期待していたマスコミ勢力にとって予想外だったかと思います。
医師免許を持っているかそれと同等の知識をもって最悪案を賛成した少数の議員は、「たとえ脳死と誤診されて臓器摘出される患者が続出しても、難病患者を救いこれからの最新医療を邁進させるためにも、脳死移植は必要」と考えているのかも知れませんが、本音は口にしないでしょう。
非常に、吐き気を催すようなことではありますが、改悪案に賛成した議員は、無知か合法的殺人教唆のどっちかでしょうが、このことを理解している有権者はまだまだ少数だと思います。
−これからの課題−
「臓器の移植に関する法律」の最悪案が可決されましたが、有権者に事実を隠蔽しての結果であり、貴重な情報を広く伝えることが責務になっているかと思います。日本臓器移植ネットワークが、「脳死の人に刺激を与えても一切反応がありません」というようなデマ情報満載のパンフを、地方自治体やコンビニエンスストアで配布しつづけてます。「デマパンフ配るのをやめなさい」といっても無視されることは必至でしょう。臓器提供病院および厚生労働省の脳死の説明、および脳死移植の説明も、同様のことでありましょう。
やはり、脳死についての本当の話で、小中学生にも分かるような簡単な説明のサイトおよび書籍が緊急に必要かと思います。脳死とは、「脳全部の機能が不可逆的に停止したと判定された状態」ではあることとか、「脳が全部死んだとはいえないような状態」の人からも、脳死判定により臓器が摘出されるようなことがありえるということ、その他、分かりやすい表現での説明が求められていると思います。
「『脳死』臓器移植に反対する関西市民の会」「死体からの臓器摘出に麻酔?」の資料は、すごく貴重であります。その一方で、有権者の多数にきちんと伝わっているなら、今回の「改悪」はないはずですし脳死移植禁止の方向になるはずだと、私自身強調させていただきます。
特に、「脳死と判定された患者の意識回復例」について、もっといろいろな人に、未確認情報でなく貴重かく確実な情報として、知ってもらえるように、なんとかしたいものであります。
あと、施行まで1年きりました。なんとか、脳死の事実を分かりやすく小中学生も含めた日本の住人に伝えていければと、考えてます。仲間のみなさん、これからも、いろいろ知恵を出し合って、脳死移植および心停止移植の廃止の方向に向けて、邁進できれれば幸いであります。
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「再考の府」参議院の良識に期待!
凛和総合研究所代表 篠田孝道
「A案」があれだけの大差で衆議院を通過したことには驚愕を禁じ得ません。付和雷同型議員がいかに衆議院自民党に多いかが浮き彫りになったと考えています。
この上は、参議院での徹底的な審議と大局的判断に強く期待をするものですが、そんななか昨日私の研究所のサイトに、”「【脳死】は人の死」には、いまだ「社会的合意」無し!” と題する私見をアップ致しましたので、ご参考に供させて頂きます。
http://www.linhwa.jp/2009/07/vol81.html#extended
貴会の一層のご尽力をお願い申し上げます。
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Transplant Communication
http://www.medi-net.or.jp/tcnet/tc_4/qa
のウェブサイトに於ける「臓器移植批判に反論する」に対する再反論。
高橋 龍郎(山形県鶴岡市・69歳 無職) 前回4月25日投稿の続き
Y レシピエントの選択は公平か
(要旨)
移植されるレシピエントの決定はネットワークを介さずには出来ない、またレシピエントになる基準も選択基準検討作業部会において、臓器毎に厳正な基準が定められ、現法の運用事項に明記されており、経済力や縁故による順位への影響は起こりえない。
再反論
この反論も次の事実によって、既に反論の価値を失った。
第15例目でドナーがレシピエントとして親族を指定した、それをネットワークも、厚労省も認めた、今回の改定案では法律上もドナーによるレシピエント指定を認めることにして、公平性も匿名性も捨て去った、当事者間の力関係による圧力の有無を確認する保証もなしにである。
経済力による公正さについては、トリオジャパンの幹部が以前に厚労委員会で「私はアメリカで2回肝臓移植を受けている」と発言している、また何人かの人がフィリピンや中国などで腎臓移植を受けたと言う事実もある、経済力による公正さも崩れ去っている。
また病状による公正さという点では、東北大学の近藤 丘教授が「肺気腫と重症患者は肺移植登録すべきではない、コンディションの良いレシピエントだけ登録するようにすべき」という発言を、加齢医学研究所雑誌第52巻第1・2号に「内外に於ける肺気腫の現状と展望」として寄稿した、これは他の臓器についても該当することと考えられる。
そもそも臓器移植医療自体、突然の脳疾病患者を、充分な治療を行わないで、臓器を摘出して脳不全患者の死期を早める医療であるから、そしてその移植治療効果、成績を生着率、生存年数で評価する医療であることから、レシピエントから重症患者を除外する傾向に陥るという矛盾を抱えている。
さらに現在の政策が毎年社会保障費を2,200億円削減する方針を掲げており、中でも医療費、介護費の削減は厳しく、移植患者として登録するまでの課程に於いての医療費が大きな負担となることで、その段階で断念する例が多くあるのではないかと懸念する、これらを考えると「レシピエントの選択は公平に行われている」という主張は到底納得できない。
Z 脳死臓器移植は脳死者の人権を侵害するか
(要旨)
脳死という事実は医学的に厳然として存在する事実であり、脳死判定は診療行為の一環として行われる、そしてその結果を家族に伝えることはインフォームドコンセントであり、その後の方針の選択肢を家族に伝え、その中から生前の本人の意思とそれに対する家族の希望により、脳死確定後の対応を選択してもらう、主治医は選択肢の一つとして臓器提供もあることを示すだけで、説明を聞くことを希望した場合のみコーディネーターを紹介するのであって、主治医自ら提供を要請することはない、従って患者の権利は充分に保障される、最も確実に臓器提供を拒否する方法は、生前に何らかの形で提供拒否の意思を表示しておくことである。
再反論
人権を侵害するどころか、脳死判定及びその後の臓器摘出は憲法違反である、何故ならこれはドナーとされる人の、日本国憲法第25条の生存権、第13条の生命、自由、幸福追求の権利、第14条の全ての国民は法の下に平等であるという権利、を奪われているからである。
脳死は医学的には厳然と存在していない、存在しているのは「脳不全」であり「不可逆深昏睡」、「病状の末期状態」である、医師が家族に説明しなければならないのは、この状況を正しく伝え、治療の継続か、そのままにして家族たちとのお別れを充分に行うかの二つしかない筈である。
何故「脳死」という言葉が発明されたのか、それは「脳不全患者」から、まだ生きている「生き生きとした臓器」を「別の臓器不全患者」に移植したいからである、移植した臓器が他人の身体の中に生着し本来の活動を始めるのは、摘出した時点でもその臓器が生きていたからである。
今まで行われた臓器移植事例で「脳低温療法」が行われた事例は一つもない、これでは法律施行規則で定めている「原疾患に対して、行いうる適切な治療を行った場合であっても回復の可能性がないと認められるものについて行うものとする」に完全に違反する、これについて日本臓器移植ネットワークでは「脳低温療法は限られた施設でしか行われておらず、各医療機関の判断による取り組みですので、当方では分かりかねます」と私に回答した。
第一例の高知赤十字病院はその治療経験があるにもかかわらずやらなかった、他にも実績のあるところもいくつかあったが何処も行わなかった、ネットワークで言っていることが事実であるとしたら、臓器提供病院に指定する条件として「脳低温療法が出来る」と言うことが必要で無いことは確実で、最初から「救命」より「移植」が優先するという意図が明らかになった。
法改定によって国民に中で文書で提供拒否をしている人以外は、ドナー対象になる脳血管関連の疾病による救急患者は、救命医療よりも臓器摘出医療になる公算が強い、憲法第9条の解釈改憲と同様の、人権に関連する憲法条文の解釈改憲である。
[ 臓器移植は弱者切り捨てか
(要旨)
植物状態の患者や重度の精神障碍者などの社会的弱者がドナーにさせられるという批判があるが、脳死者と判定されるのは全脳の機能が不可逆的に停止し、蘇生し得ない人であり、適切な治療で生存している植物状態の患者や脳に障碍を持った人からの摘出はあり得ない。
再反論
(この部分は小松美彦氏の「脳死・臓器移植の本当の話」を読み、私なりに自分の頭で考え、自分の心で感じ、自分の知識の範囲で理解したことに、自分の意見を加えたものです、小松美彦氏に深く感謝いたします)
そもそも臓器移植というのは、レシピエント側に於いてもドナー側に於いても、弱者切り捨て医療であることは、今までの例を見る限り間違いないことである。
アメリカで現在起きていることは、日本でも数年後に起きると言われている、移植大国とも移植先進国とも見なされて、日本の移植推進者から尊敬されているアメリカであるが、そのアメリカが(オーストラリアも同じと言うが)臓器不足にますます悩まされ続けている、加えて脳死判定基準に従って正確に判定を行い、脳死と判定されたにもかかわらず、機能が回復した事例が多発しているという報告が、専門家集団から発せられるようになったのである。
その結果「脳死・臓器移植治療」を止める、と言う方向に行くのかというと全く逆で、臓器摘出を適法とする基準を「脳死」ではなく、他の基準に変更しようという意見が出てきているのである。
「脳不全患者」、「深昏睡患者」、「不可逆的脳機能停止患者」を「脳死者」と改名して臓器摘出を可能としたのが現在の「臓器移植法」である、それで現法では出来ないとされている「脳機能障碍患者」を改名して、「植物死状態」、「無脳死状態」、「重度精神障碍死状態」、「知的障碍死状態」、「重度認知症死状態」と改名したらどうか、勿論「脳死」は否定されるから「脳死判定」も「脳死判定基準」も無くなる、「自発呼吸、脳血流」があっても良い、ではどうするか、今法制化を意図している「尊厳死承諾の文書」を「臓器摘出承諾の文書」とするのである、しかし今考えられている「文例」では「臓器摘出」は出来ない、ではどうするか「心停止以前において無危害原理に基づいての処置をしての臓器摘出を承諾する」の文章を加えるのである、しかしこんな事はあり得ないとする意見の人は多いであろう、それなら「生きている脳死状態の人」から、麻酔を打って「臓器摘出」を認めている現法を推進していることと何処が違うのか、米国や豪州では真面目な学術的主張として、人間の生命には「人格的生命」と「生物的生命」の二つがあるという、二つとも兼ね備えている人には生存権が与えられる、が生物的生命しかない人には生存権を認めない、と言う「パーソン論」を拡大した理論を唱えている、ピーター・シンガーとロバート・トゥルオグの主張である。(詳しくは前掲の小松美彦氏の著書を参照されたい)
今の政治は「弱者切り捨て」である、医療、介護、労働分野が特に酷い、移植医療だけは別と言う言い分は通らない。
法律成立時に閣僚の一員であり、後に首相となった「故小渕首相」が脳血管疾病で倒れたとき、移植、脳死、ドナーカードなどの話は一切無かった、家族の病院に対する要望も最後まで「治療に最善の手を尽くしてください」であったという、これは庶民の家族でも自然なことだ。
そう言うことを聞くと、経済力のある人、権力を持っている人、と特別のものを持っていない人との「差」を強く感ずる。
\ 臓器移植は犯罪に結びつくか
(要旨)
アジアの一部の国で生体腎移植のための腎臓売買が行われているのは事実である、国際移植学会では臓器売買禁止の声明を発表した。
欧米では法律で禁止し、日本でも罰則規定を設けている、臓器を売るための誘拐や殺人が行われていることは確認していないし、あり得ないことだ。
非合法に臓器移植を行おうとしても、熟達した専門家、施設がなければ闇で行おうとしても実行できることではない。
ごく一部の例外的なことを理由に、臓器移植を行うべきでないという議論は、売血行為があるから、輸血を禁止すべきだと言うことと同じだ、必要な医療であれば、その悪用を防止するシステムを整備すべきだ。
再反論
声明を発表したから無くなるだろう、いかにも性善説を唱える人達にふさわしい見解である、法律で禁止しているから、罰則規定を設けているからあり得ない、何処まで「良い人たち」なのだろうか、それとも日本だけは犯罪行為がない国でありたいと思っているだけなのか分からない。
刑法があるから日本では犯罪がないであろうか、死刑制度存置論者がよく言う、「死刑制度が犯罪抑止力になる」と、しかし人を殺すとき死刑制度を思い出す人は居ないだろう。
日本でもあったことを早くも忘れたのだろうか、全く他人なのに親族と偽って腎臓を売った例を、しかも医師が介在していた、あるいは病気になった腎臓を摘出して他の腎不全の患者に移植したと言う例、私には全く理解しがたいことである、医師による「生体実験」としか考えられない。
臓器移植を行っている国は全て、深刻な臓器不足状態に悩まされている、日本もその例に漏れず同様だ、特に提供拒否している人以外は全て承諾していると見なす、としたのは特に子どもの提供臓器を国内で調達する為という意図から考え出されたと言うことは、誰が考えても分かることである、しかし子ども虐待問題との関連は置き去りである、小児科医の不足が問題になっている現在、成人並みの脳死判定を行い、虐待の有無を無視して臓器摘出を行い、日本では臓器移植に関する犯罪はなかった、とでも言いたいのであろうか。
アジアで腎臓売買が行われていることは認めている、フィリッピン、中国、インドである、売る側は貧しい人達であり買う人は財力の豊富な人達である、日本人も大事な顧客だそうである。
犯罪行為は確認していないからあり得ないという、その言い分をそのまま信ずる訳にはいかない、犯罪は実行し終わってから少しだけ表に出てくるもので、ほとんどは「暗い闇の中」で処理が終わるものだからである。
] 臓器移植費用は高すぎるか
(要旨)
移植医療費は高額である、しかし命を救う行為を費用の高低で決めるべきではない、高額であるという主張も根拠のない推量でなされている。
現在、透析医療費は年間7000億円を越えており、医療費財政を圧迫している、これは腎移植で軽減できる、移植医療と代替臓器による医療を比較した場合、双方とも高額であることに変わりがない、代替臓器により治療する患者のQOLは極めて悪く、これにより救命することは不可能である。
再反論
高額だと言いながら、批判論での高額であるという主張は根拠のない推量でなされている、と言う、さらに命を救う行為を費用の高低で決めるべきではないと言いながら、透析医療費は高額すぎて財政を圧迫しているという、これらは完全に自己矛盾に陥っている、これでは全く反論の体をなしていない、移植医療を正当化するための単なる言い訳にすぎない。
この後色々数字を挙げて、移植医療を行った方が人工臓器を使うよりもいかに安く済むか、と言うことを縷々説明している、手術費用などを加えた一年間の所謂「初期費用」が、心臓移植で約900万円〜1200万円、腎臓が500万円〜600万円、肝臓が800万円であるとして、二年目以降は100万円〜150万円としている、しかしこれはあくまで順調にいった場合で、合併症がでた場合は費用はさらに増える、と言いながら具体的な金額は提示していない、余病については一言もない、この辺が統計数字の出し方の巧妙さである。
移植医療費が高いか、と問われれば我々庶民の財布から見れば、いくら保険適用されようとも、高額医療制度が適用されようとも、人並みの収入であれば月額約8万円の、年間約96万円の医療費は高額である、何故臓器不全患者全員に同時に行き渡るような、人工臓器や、医薬品の開発、再生医療技術の研究開発などに最大限の力を注がないのであろうか。
平成19年12月11日の衆議院厚労委員会で、参考人として意見表明をしたトリオジャパンの野村 祐之氏が、自分のアメリカでの2回の肝臓移植の経験から、アメリカでは肝臓ガンの治療の第一番目が臓器移植であると発言している、移植をする方が薬の開発や他の治療技術の開発よりも費用が安価になると言う理由と言うことである。
最近「グローバルスタンダード」という言葉が流行している、翻訳すれば「アメリカ流にしよう」と言うことらしい、しかしせめて医療だけは、アメリカ流ではなく日本流にしたいものである、一人の患者を治療するのに一人の命を利用するのではなく、同じ病気の人患者には全員もれなく同じ方法で治療する事を考えた方が、最初の開発費は多いこともあると思うが、完成すれば医療費も安価に出来るであろうし、第一に他人の命を当てにしなくても済む事ほど心穏やかになることはないであろう。
]T 脳死移植の実施は性急すぎるか
(要旨)
臓器移植に関する法律の検討は既に1967年から始めている、脳死に関する議論も1980年頃から十数年に渡って行われている。
勿論必要な議論は充分になされるべきであるが、いたずらに時間を費やし結論を先送りすることは、臓器不全の患者の命を失わせ続けるだけである。
臓器移植法を制定することは、全ての人が臓器提供を行ったり、移植を受けることを強制されることを意味しない、拒否する権利も保障されている。
再反論
臓器移植の実施が早いか遅いかの問題は、議論が長時間か短時間かの問題ではない、とかくこのような医学とか科学という問題は専門家に任せておけばよいと言う風潮がある。
例えば、遺伝子操作、原子力問題、生殖医療等々、一番身近にいる一般市民が蚊帳の外に置かれているのが実情である。
臓器移植医療問題でも、長時間議論されたことは事実であろう、しかし民主的に一般市民も参加して行われたかと言われれば、それは全く無かったと言わざるを得ない、民主的な議論とはどういうものか、専門家が難解な専門用語を使い市民に説明して終わりではなく、専門家が一般市民でも理解できる易しい言葉で、真実のことを伝え、市民が心底から納得できるような議論を言うのではないだろうか、そう言う意味では臓器移植治療はまだすべきではないと考える、と言うより「脳死・臓器移植治療」も「心臓死移植」も中止すべきであると考える。
その時必ず言われるのが「臓器不全患者を見捨てるのか」と言うことである。
臓器不全患者の治療方法は、今まで人類が色々な病気と闘ってきた事と同じ方法で行うのだ、と言うしかない、臓器不全となる原因を見極める、予防法を研究する、同時進行的に治療法を研究開発する、人工臓器を現在発展している技術を駆使してより良いものに進化させる、臓器再生も現在の分子生物学の驚異的発展に依拠すれば、早い時期に日の目を見ることも不可能ではないと考える。
iPS細胞の研究に投入する研究費は日本に比べてアメリカの方が格段に多いと言われている、これこそ官民挙げて再検討すべき課題ではないだろうか。
以下次のような反論がなされている
十二 移植は医師の功名心のためか
十三 和田移植の反省はなされたか
十四 医師不信のために移植は出来ないのか
十五 免疫抑制剤は副作用がひどいのか
十六 移植後も病状は良くならないのか
この反論集は1997年の法律制定時に於ける臓器移植医療反対論を、著作物又はウェブサイトから拾い出したものを、自分なりに解釈して反論していると思われ、反論者の氏名も明らかにせず、引用先も明示せずに行っているという、無責任極まりないものである、しかし、前段のものについては現在でも移植医療推進者の考え方を表しており、それに対する再反論は有効と考える、しかし、後半の上記については、80数例の検証結果の情報開示もなく、移植医療の詳細なデータの公表もないことから、日本医療界の封建的な体質や隠蔽主義を批判するに止めたい、そして子どもや文書で提供拒否の意思表示をしていない人までも「犠牲者」にする今の「改悪案」にあくまで反対し、臓器移植医療を即時停止し本来の医療に立ち戻る事を提案したい。
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