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前半部分は臓器摘出時の麻酔、血圧急上昇が示すことをご覧下さい。
まず一つだけアンケートをします。今この時点ではなく、初めて「心停止後の臓器提供」と聞いた時のことを思い出してください。初めて聞いた時に、「心停止後の臓器提供というのは、3徴候死後のことだ。完全に死んでしまった後の臓器提供のことだ。脳死で提供するのとは全然違う」と思っていた人はどれくらいいるのでしょうか。
はい、有難うございます。約9割、ここには医療関係者が多いから割引いて考えると、ほとんどの人が「心停止後の臓器提供とは3徴候死後のこと」と思われています。
具体例は前ページで紹介しましたが、統計で全体を把握しましょう。
腎臓移植の第一人者であり日本移植学会理事長(1983年〜1995年)でもある太田 和夫氏らは「わが国における死体腎提供の現況と問題点」(「移植」1986年第21巻第2号)に、
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1980年1月から1985年3月の間に、43施設のうち22施設が脳死状態で腎摘出をしていた。
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ベンチレータをつけたまま摘出した例と、ベンチレータを外して呼吸が無いのを確かめたが心拍動がなお完全に停止しないうちに手術をはじめたとするもの、この両者がいわゆる脳死状態における摘出に該当するものと考え
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「腎摘出総数314例のうち、96例(30.6%)は、脳死状態における摘出に該当する」
と認めています。太田氏は「移植」1990年第25巻第4号の「わが国における死体腎提供の現況と問題点(1984年〜1988年)」でも、1984年1月から1988年末までの5年間429例の死体腎摘出のうち、152例(35.4%)が「脳死」腎臓摘出だったと発表。これに加えて「脳死」状態でカテーテルをドナーの大動・静脈に挿入し心停止後に急速冷却する症例も、脳死群として検討しています。
2000年の腎移植臨床登録集計報告(「移植」2002 Vol.37 No.1 p1〜p11)には、人工呼吸器の取り外しやカテーテルを挿入したタイミングに関する記載はありませんが、2000年に死体内灌流を行なわなかったのは11例7.5%のみになりました。体内灌流を実施した残り約9割、つまり大部分の腎臓摘出手術では、体内灌流はこのように行なわれると見られます。
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腎臓に血液を供給する動脈に、カテーテルを挿入
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カテーテルに付いたバルーンを膨らませて血流を遮断
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替わりにカテーテルから冷却灌流液を腎臓に送り込む
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静脈にもカテーテル(バルーンなし)を挿入しておき、動脈からの冷却灌流開始とともに、静脈からはカテーテルを経由して灌流液の排液も兼ねた脱血を行なう
脱血するから、腹腔内の手術をしても出血で手術者の視界が妨げられない。しかしドナーは出血多量死します。
太田氏の「脳死状態でカテーテルをドナーにする症例も脳死群」との定義に従えば、死体内灌流(「死体内」とは統計上の表現)を行なった比率だけからみても、現在はほとんどが「脳死」体から腎臓摘出を行なっているとみてよい。移植医療関係者は「脳死」と私的に判断して、救命治療に反するドナー管理・カテーテル挿入・ヘパリン投与、その後に続く灌流・脱血を正当化するのでしょう。1980年代前半まで腎臓摘出術は、人工呼吸器を停止する前後のタイミングで臓器を摘出していた。それが次第に、人工呼吸器を作動させたまま腎臓を体内で冷却灌流し、ドナーは出血多量死させることが大勢を占めてきたといえるでしょう。出血多量死させる過程で家族を呼べば、心停止後の臓器提供を演出することができます。
腎臓を摘出する目的で、腎臓に冷却液を流す管=カテーテルを体内に挿入するには、1998年の関西医大事件判決で、大阪地裁は「ドナーの生前同意が必要」と判決し、控訴もなく確定しました。瀕死の患者にメスを入れて管を挿入することが、その患者の命に最後の打撃になりかねない行為だからです。臓器を摘出する目的では、血栓が生じないようにヘパリンという薬剤も注入しますが、これは内出血を起こさせる可能性も高めるため、ヘパリン注入に関しても、ドナーの生前同意が必要と理解されます。
しかし、この判決が出た直後に厚生省は法的な裏づけのない通達を出し、本人の生前同意は不要としましたが、管=カテーテルの挿入前に「脳死」状態が確認されていることを条件としました。では、2000年に死体内灌流を行なわなかった11例以外の推定55名は、法的脳死判定をしたのでしょうか?まったく、していません。厚生労働省は2000年以降、「脳死状態と診断されていない場合は、カテーテル挿入に加え心臓停止前のへパリン注入も行なってはいけない」と指導しています。指導をするのが遅すぎるし、「脳死状態と診断・・・」と表現したため、法的脳死判定ではなくとも許されるように、移植医療従事者に理解される指導、通知であることは問題です。
臓器移植法の施行後、腎臓の提供数が急減しました。2002年の「心停止」後の腎臓ドナーは59人、提供で腎臓移植を受けたレシピエントは114人と過去20年間で最も少なくなりました。これは腎臓を摘出してきた施設の一部が「これまで脳死下に摘出してきた。臓器移植法施行後は、法律を遵守すべきだ」と自ら判断した施設も含まれます。
こんなことを指摘していくと、「心臓死後に臓器を摘出させてもらったんです、3徴候死された後に手術を開始しました」という病院が出てくるかもしれませんから、3徴候死について説明しておきます。
3徴候死は、心臓停止、瞳孔散大、自発呼吸停止の3つの徴候が揃い、不可逆的な時です。法医学ではこの3徴候が「1時間以上継続することを観察して、不可逆的と推定する」と書いている文献が多く、短くとも「5分間以上継続」しないと"不可逆的"と判断せず、死亡宣告はしません。現実には、死亡するまでの経過がわからない場合は1時間以上待ってから死亡宣告する、反対に入院していたり家族に見守られて亡くなる場合には5分間待ってから死亡宣告する、という運用でしょう。ところが2000年に移植医達は、心臓の拍動が止まってから平均5.4分で腎臓を体内で冷却を開始するか、体外に臓器を取り出したのです。
ここで必要な用語解説をしておきます。
温阻血時間(おんそけつじかん) Warm ischemic Time : WIT=体温に近い温度で、血液による栄養や酸素などの補給がない時間。
冷阻血時間(れいそけつじかん) Cold ischemic Time : CIT=冷却灌流されるか冷たい保存液に浸され、栄養などの補給がない時間。
全阻血時間(ぜんそけつじかん) Total ischemic Time : TIT=温阻血時間と冷阻血時間を合計した時間。
各臓器への、血流が停止してから「温阻血時間」が始まり、その後、冷却灌流されるか体外に摘出され保存液に浸されると「冷阻血時間」になります。言い直すと、心臓の拍動停止または臓器への血流遮断に始まり、その臓器の冷却灌流開始までが温阻血時間です(日本臓器移植ネットワークは、心拍動停止から、腎臓を摘出し冷却液に入れるまでの時間を温阻血時間として発表しています、より長時間に見えるので注意してください)。
人工呼吸器を止めてから心臓停止までに、10分間〜50分間かかります。その後の3徴候死の確認に、最低でも5分間、病室から手術室までの搬送にさらに数分間、そして冷却灌流用のカテーテル挿入・灌流開始までさらに10〜20分間を要することから、角腎法が容認した3徴候死後の臓器提供ならば、温阻血時間が30分以下になることはありえない
。死亡宣告後に家族が「故人」に別れを告げるなどに、充分な時間を見込んだら温阻血時間は1時間以上になります。ところが、すでに1981〜1987年の段階で、温阻血時間0〜10分が56.3%と多数派です。
集計期間
↓ |
死体腎移植の温阻血時間 |
0〜10分
(比率) |
11〜20分 |
21〜30分 |
31〜40分 |
41〜50分 |
51〜60分 |
60分以上 |
合計 |
|
1981〜1987年 |
383
(56.3%) |
124 |
42 |
29 |
14 |
21 |
67 |
680
(100%) |
| |
|
|
|
31分以上
131
(19.3%) |
|
| |
| |
0〜4分
(比率) |
5〜29分
(比率) |
30分以上
(比率) |
合計 |
| 1983〜1997年 |
825
(41.7%) |
771
(39.0%) |
381
(19.3%) |
1977
(100%) |
| |
| |
〜5分
(比率) |
6〜15分 |
16〜30分 |
30分〜 |
合計 |
1995年4月1日〜
1996年3月31日 |
107
(68.6%) |
26 |
15 |
8
(5.1%) |
156
(100%) |
| |
| |
0〜4分
(比率) |
5〜29分
(比率) |
30分以上
(比率) |
合計 |
| 2000年のみ |
83
(56.8%) |
45
(30.8%) |
2
(1.4%) |
146
(100%) |
この温阻血時間は日本移植学会等が集計するたびに短縮されています(左表参照)。
30分以上の温阻血時間となった症例数(比率)は1981年〜1987年と1983年〜1997年はともに19.3%でしたが、1995年度は5.1%、2000年は1.4%と激減。
代わりに5分以下が増加し1981年
〜1987年は0〜10分が56.3%だったのが、1983年〜1997年は4分台までが41.7%に、1995年度は5分台までが68.6%、2000年は4分以下が56.8%になりました(腎移植臨床登録集計報告(「移植」1988
Vol.23 No.3 p315〜p333、2001 Vol.36 No.2 p87〜p105、2002
Vol.37 No.1 p1〜p11)と日本腎臓移植ネットワーク
News Letter No.2 1997年5月号より作成)。
「脳死」論争が行われる前提には、「3徴候死は正確に判定されている」という誰も疑いもしない前提があります。「脳死」や生命倫理に関心のある人でも、こう思っていた人が多いのではないでしょうか。
「ほんの一部で「脳死」から臓器を盗る施設があるが、そんなけしからん病院はおおかたマスメディアで報道され、検察庁が捜査をなかなか開始しない問題はあるものの市民によって捜査するよう告発されてきた。移植医療関係者はほとんどが、和田心臓移植はおかしいと批判しているから、和田医師らと同じように市民をだますことはしないだろう、確かに強引なことはしているがウソを重ねることはあるまい」
ところがそうではなかったのです。一部の救急医、移植医は何十年も前から3徴候死を逸脱する死亡宣告を行い、私的な「脳死」判断にもとづいて救命治療を打ち切り、臓器保存処置を開始し、臓器を摘出していたのでず。1975年以降の「心停止・脳死」患者からの腎臓摘出ドナーは約2,000名におよびます。現在でも、欺瞞、まやかしだらけの「心停止」ドナーからの臓器摘出が、「脳死」よりも簡単に法的検証もされず、麻酔をかけて摘出手術をするような実態を知らされない家族の同意だけで行われています。「心停止後臓器提供は3徴候死後の臓器提供と同じ」と誤認を与えて角腎法、臓器移植法を立法し、臓器提供意思表示カードの携帯を推奨し続ける移植医療関係者の倫理観の無さ、国民を愚弄し続けていること、その責任は問われなければなりません。
脱血により移植用臓器の保存効果を求めることは、研究されている「心停止後」の心臓摘出・移植にも1つの方法として含まれています。術前措置と称する臓器摘出手術の開始、脱血・出血多量による殺害後の臓器摘出を容認するならば、臓器移植法はまったくのザル法と化します。
人間は死亡すると、多くの社会的権利を失います。死亡宣告は、その権利喪失を宣告します。恣意的に死亡宣告をするならば、目前の患者に対して、最大限の人権侵害になります。特定の職業集団に「社会的合意の無い恣意的な死亡宣告、生死を判断する権利」が許されるならば、その集団に権力が集中してゆき、市民社会、民主主義を破壊することにつながるでしょう。恣意的に死亡宣告することの、重大さを認識してもらいたい。
心臓停止数分後の臓器摘出は、法的手続きだけではなく、人道上も重大な問題があります。それは「脳死」からの臓器摘出よりも、一層、臓器摘出時に恐怖、絶望、激痛を与えること可能性が高いことです。
「心停止」後臓器摘出は、法的脳死判定と検証を免れる方便とされているため、「救命治療を早期に放棄して臓器保存処置を開始する」「脳波計の感度を落として測定する」「危険な無呼吸テストを初めから何度も行う」「薬物濃度を測定しない」など、ただでさえいい加減な脳死判定基準が、一層いいかげんに曖昧に行われやすい。となると死亡宣告時に瞳孔散大、自発呼吸停止という2徴候も、揃っていない患者が増えます。そこまで違法性の高い行為を関係者が行なわない場合でも、「脳死」判定をできない患者まで「心停止」ドナーとする。加えて関西医大事件のように「脳死」ではない患者からも臓器を摘出するだけに、脳の機能はより保たれ心停止が先行する患者から臓器を摘出することが多くなります。
心臓の拍動が停止した後の状態を考えてください。全部かどうかはわかりませんが、一旦、心停止しても、死亡宣告をした後は、手術室に運ぶまでに心臓マッサージをしたり、人工心肺につないでいるのです。再び血液を循環させるならば、脳にも血液の供給が再開され、臓器摘出時には意識がある可能性を高めます。
心拍動の停止時間が数分間では、脳の血液中にある酸素、エネルギーが消費され尽くされていないため、意識や痛覚があります。救急車内で心停止した後、蘇生された人が「救急隊員が『心停止!心停止!』と叫んでいるのを聞いて、おれはもう死ぬのかなーと思った」と話しています。心臓の拍動が停止しても、すぐには人間は死なないし意識があるのです。
「脳死」プラス心停止後にも、脳が活動している症例が報告されています。臨床脳波Vol.39 No.11(1997:11)で、産業医科大学脳神経外科学教室の浦崎 朗講師が、脳死判定後に心停止した65歳女性から、「心停止10分後にも無視できないP14様の電位が認められた」と報告されています。P14の電位ならば、延髄付近の電位を測定したことになり「脳死」状態に矛盾しますが、浦崎氏は通常のP14とは振幅や潜時が異なることから「P14様」と「様」を付け、延髄より下部の頚髄付近の電位かもしれないとしていますが。
死体解剖にもとづくより確実な情報として、脳死例ではなく心停止で死亡された患者の大脳皮質の神経細胞は、心停止後ほぼ7分くらいで多くの細胞は死滅するが、部位によっては15分くらいの心停止でもなお生存している。「ご臨終です」と自らに死亡宣告される声が聞こえる可能性が、指摘されています。脳が明らかに融解している脳死患者でも、視床下部諸核の神経細胞は脳死後24時間以内の6例はみな、おそらく生存していた。脳死後4日位の時点まではほぼ40%くらいの症例の視床下部だけは生存していると考えられた。1時間15分の心停止の後31日後に死亡した46歳男性の視床下部神経細胞は生きていたそうです。
「死とは、視床下部と体内臓器系の連携が絶たれた時である」とする医学的な死の定義を私は支持しますが、その死の定義からすると、「大脳皮質や視床下部が生きているならば、意識まである可能性が高い」「視床下部が生きているなら体内臓器系との連携も保たれ、情報が視床下部に入力処理され、臓器摘出時に文字通り死にいたるまで激痛・恐怖・絶望・激怒・恨みを感じる可能性が高い」ことを想定せざるをえません。
世界的に臓器の獲得数を増やすため、「心停止」からの臓器摘出が増えています。藤田学園医学会誌Vol.25,No.1で同大学泌尿器科の星長氏が「米国ピッツバーグでは血圧の測定が不能となり、心電図上で心室細動か心筋無収縮が2分間以上続けば心臓死として臓器摘出が行なわれている。しかしヨーロッパでは少なくとも10分以上の心電図上の心筋活動の停止が必要であるとする意見が強い」と書いています。心停止10分以上経過した後の臓器摘出も非人道的であることは、医学的な死の定義からは言うまでも無く明らかです。
皮膚、心臓弁、血管、骨、靭帯、鼓膜、耳小骨、膵(ラ氏)島、気管、気管支などの組織摘出も、法的環境が整備されていないにもかかわらず、一部施設は家族の承諾だけで行っています。
心臓弁は心臓全体を、膵島も膵臓全体を摘出するにもかかわらず、「組織移植に使うのは心臓弁や膵島細胞だから、臓器移植法の規定の対象外だ」と称している。これは「臓器の移植に関する法律」に反します。膵臓は心停止から摘出までの許容時間が30分以内です。このため、「患者に生前からカテーテルを挿入し冷却灌流液注入、血液凝固防止のヘパリン注入、低血圧状態が長時間継続して臓器を障害しないように人工呼吸器停止」などを行うと見られます。人工心肺て血液循環させ冷却しながら摘出する動物実験も日本移植学会誌に発表されています。皮膚の採取なら問題ないだろうと思われやすいのですが、皮膚を採取しやすいように、丸々と太るほどに大量輸液された患者も目撃されているそうです。大量の輸液で脳浮腫を促進し、心臓に過大な負荷を与えたことでしょう。
組織摘出も、患者を故意に死に到らしめる、重大な人権侵害を起こす可能性があります。患者の救命治療経過に全く影響せず、しかも確実な死後に提供可能な組織に限定するための、法的規制と検証制度が必要です。
|
集計期間
↓
|
小児ドナーからの死体腎移植数
|
| 0〜4歳 |
5〜9歳 |
10〜19歳 |
| 1981〜1987年 |
15 |
16 |
132 |
| |
| |
0〜19歳 |
| 1983〜1997年 |
294 |
| |
| |
0〜5歳 |
6〜10歳 |
11〜15歳 |
16〜20歳 |
|
1995年4月1日〜
1996年3月31日 |
2 |
1 |
1 |
15 |
| |
| |
0〜9歳 |
10〜19歳 |
| 2000年のみ |
4 |
3 |
小児からの臓器摘出も20年以上前から行なわれ、腎移植臨床登録集計報告等は、左記のドナー年齢別死体腎移植数を記載をしています。
臓器移植法は15歳以下の「脳死」下臓器提供は禁止し、6歳未満は医学的にも「脳死」判定対象から除外しています。「心停止」後臓器摘出の体裁をとり法的脳死判定と本人意思表示から免れようとする形式主義によって、市民には行なわれていないと思わせながら、既に小児「脳死」判定・臓器摘出が行なわれているのです。
私は、20年ほど昔に行なわれた無脳児からの腎臓摘出も、生存可能な人間からの生体臓器摘出として見直されるべきと思っています。
安易に「無脳児」と言いますが、本当は無頭蓋症(むとうがいしょう)というのが正しく、脳波のある方もおられるのです。
「脳死」・臓器移植で指摘されることの少ないことが、医療資源の適正配分の問題です。簡単にいえば、実態を知られない移植医療が過度の支持を集めているために、他の医療分野が犠牲になり、国民医療全体の水準は後退しているではないか、という問題です。今後、移植医療が拡大されれば、被害も大きくなるでしょう。
例えば、小児救急医療体制です。我が国の病院小児科医+救急医は、小児人口10万人当たり42.1人と英米独の半分以下です。「東京の真中においても、小児の重症患者に呼吸循環管理が365日24時間いつでも行なえる病院はほとんどない。救急病院は小児患者を扱えない機関が半数、日本小児科学会研修指定病院では25%以上の医師が週1回以上の当直勤務をしている。若手医師の不満は97%に及ぶ」そうです。このような環境で、敢えて小児からの「脳死」臓器摘出を行なうならば、準備段階から小児病棟からの植物状態患者の退院・転院の強要、新規患者の受け入れ制限、医療事故の増加と、小児医療全般におよぶ引き下げの連鎖反応を起こさざるをえないでしょう。
その一方で小児ドナーは非常に少なく、小児からの臓器摘出は20例に1例程度しか発生しません(2000年の腎臓摘出数146個のうち0〜19歳ドナーから摘出した献腎+「脳死」体腎は7個でした)。結局、小児からの「脳死」・臓器移植を実現するよりも、極めて多数の小児患者に対する医療水準を引き下げてしまうのです。
昨年、東京女子医科大学病院は心臓外科手術で医療事故の隠蔽が明らかになり、医師の逮捕、そして心臓移植の辞退に至りましたが、これは11年も前に日本心臓病学会から予言されていました。
日本心臓病学会は1991年に日本医事新報No.3515で心臓移植に関する提言をし、このなかで「本邦で心移植を希望している病院は医療技術が劣る。冠動脈再建術(バイパス手術)を欧米が死亡率2%〜3%以内で行っているのに対し、日本は5〜8%台の死亡率の施設が大部分を占める。本邦で心移植を申請している病院のうち、何施設が2〜3%以内の死亡率でバイパス手術を行っているのか、公表されてもいない。人工心肺を用いて行う心臓手術が年間200例、あるいはパイバス手術が150例以下の施設は、心移植という大きな手術一件が入ることにより、他の手術予定を大幅に変更、削減せざるを得ない。欧米で心移植を行っている病院では、バイパス手術のみでも、年間300〜400例以上は行っている。そのような施設は、現在の日本には一つもない。看護婦不足、病院管理体制の不備など矛盾に富む条件下で、無理を押して少数例の心移植を敢行しても、雛寄せと被害が病院全体にも及び、そのため心移植が妥当な治療として長続きしなくなる可能性があろう」と懸念を表明していました。
週刊朝日9/13号は、心臓病バイパス手術等(心臓バイパスおよび人工心肺を使う手術)の年間手術数を掲載しましたが、東京女子医大は141と、まさに日本心臓病学会に懸念していた水準以下でした。東京女子医大の辞退を受けて、新たに心臓移植実施施設となった埼玉医科大にいたっては、この上位30に登場しないほど小規模な医療施設で、医療事故多発とともに従来医療への皺寄せが懸念されます。
その後、週刊朝日10/4号は再び心臓病バイパス手術等ランキングを掲載しましたが、東京女子医大の手術数は610に増やしました。厚生労働省に報告した年間手術数、また東京女子医大の事務当局が認識している年間手術数はともに141だそうですが、9/13号の記事が出てから同大学の医師が「認識が違う」と610に訂正を要求してきたそうです。人工心肺を使わないなど他の軽い手術も含めて水増ししているようですが、3/13日号と極端に異なる数字を根拠も明確にしないまま、言われたまま掲載する週刊朝日も困ったものです。
日本移植学会は「移植医療をフェア、ベスト、オープンに行なう」と言っているのですが、実態はどうでしょうか。
2002年の第50回日本心臓病学会で、東京女子医科大学附属第二病院内科の布田 伸一氏らは「心移植患者の長期管理におけるチーム医療の重要性」として、心筋生検が原因で心臓弁閉鎖不全になり、このうち1例に弁置換手術を行なったことを発表しました。心筋生検(心筋バイオプシー)は心臓から組織を採取するため、回数が増えると心臓が損傷されて、一定の確率で三尖弁閉鎖不全症を発症します。東京女子医大は心筋生検の回数が米国スタンフォード大よりも約50%多かったのです。
免疫抑制剤の投与量を間違えてレシピエントが死亡した事件では、大阪の病院側が非を認めています。このほかの施設でも併用禁忌薬剤の投与=同時に与えてはならない薬をだしていたり、免疫抑制剤のサジ加減を知らないといった勉強不足、加えて内科医との連携欠如、心筋生検操作の経験不足など技能未熟などが一部にあるそうです。治験薬や医学論文の作成目的でも、心筋生検の回数が増えるそうです。
欧米の移植先進施設の水準まで心筋生検を減らせた段階=拒絶反応を抑制できた後でないと、心筋生検の回数を研究する必然性・価値がありません。先進国の移植手術後ケアーの実態、移植医療に不可欠な知識・技術を吸収し、本当にベストの体制で移植医療を開始していたならば、こんな学会発表が行なわれるはずがないと思います。
他の施設でも、医療施設の規模が小さいこととマンパワーの制約から、従来の一般患者への悪影響を報告しています。
2000年11月の第22回日本手術医学会総会で、慶応義塾大学麻酔学教室の武田 純三氏が「臓器摘出術が日常の業務にどの程度の影響を及ぼすかは、病院の規模、日常業務の中で緊急手術の占める割合や日頃受けている緊急手術内容に左右される。臓器摘出手術は、比較的大きな緊急手術に匹敵すると考えられ、胸部大動脈瘤の緊急手術程度と考えられる。通常、この程度の緊急手術が入ってきた場合に、どの程度の対応ができているか、一つの目安となる」と述べました。
実例として、臓器摘出5例目の日本大学の矢崎 誠治氏らは「拘束されたのは40時間で、日常の業務に影響をきたし、他の医局員への負担となる。ペインクリニック外来業務、手術室における麻酔業務など日常の業務に支障をきたすことが多分に予測される。幸いなことに3月28日の手術件数がすくないため、なんとか切り抜けたが、仮に予定手術が多い日だったらならば予定手術、緊急手術の実施にも支障が生じることが予測される」と発表しています。
移植手術を行なった施設の側でも、国立循環器病センターの小松 美幸氏は、「当センター第1例目の心臓移植手術当日に、胸部動脈瘤破裂症例と急性冠動脈閉鎖症例がほぼ同時刻に発生した。他施設への紹介も考慮されたが、センターの使命を守る総長の指示のもと、心臓移植手術を合わせた3症例の手術が同時進行で行われた。緊急手術症例は2例とも極めて重症で、心臓移植手術の方が整然として薦められていた」と述べ、国内最大の心臓外科手術施設であっても他施設への協力を考慮する緊急事態が起こることを報告しました。
2001年の第54回新潟麻酔懇話会では法的脳死判定17例目の新潟市民病院の傳田 定平氏らが、「一連の作業に、手術室業務に従事する多くの人員、手術室がさかれ、通常手術室業務が少なからず犠牲になった」と発表しました。
京都府下でもっとも輸血の消費量が多いのは、京大の移植外科です。移植医療が大量の医療資源を消費して、一般医療の水準を落としかねないものであることも知られるべきです。
日本医事新報 bS092(2002年)の「米国の営利医療組織の現状と問題点」で、秀明大の廣瀬 輝夫教授は、「アメリカの人工透析センターは早くから営利企業が参入、現在では70%近くが営利で運営されており、人工透析装置の再利用や透析時間の短縮、コメディカルの透析士を中心とした治療が行われている。このためその臨床成績は年々悪化し、わが国の人工透析の生存率よりはるかに劣っている。また、メディケアの医療費抑制政策のため、支払い制限が頻繁に行われたことも成績低下の要因となっている。利潤を上げるために極端な制限医療と支払い制限を行っている。営利HMOは、非営利のHMOより予防接種受診率やガン検診受診率は16%前後低く、心筋梗塞に対するβブロッカーの使用や糖尿病患者に対しての低血糖剤および眼底検査による網膜病変の検査も10%以上低い」とレポートされています。
AAKP(米国腎臓病患者協会)によると、米国内の透析患者死亡率は約23%、それに対して欧州では死亡率が約15%(JAMA日本語版 2002年7月号)、日本は透析医学会が集計していますが約9%台で推移しています。米国のように、糖尿病患者に必要な投薬・検査の制限を行うならば、人工透析が必要な容態まで悪化する患者が増えます。人工透析センターで日本の2倍以上もの死亡率にさらされるならば、腎臓移植を希望する患者も増えるのは当然でしょう。米国は、人工透析や臓器移植などの高額医療を受けざるをえない患者を、故意に増やして利益を貪ぼる社会になっているようです。
イギリスは脳死判定に脳幹死を採用しています。約3割は脳波のある人から臓器を摘出する国です。医療は税金で保障しているため、ホームレスや外国人でも安心できるという点は見習うべきですが、予算が増額されないから医療水準は低く、金持ちは自費で診療を受けています。
現状を改善していくために、1991年にPatient Charter 患者憲章が制定されました。「かかりつけの一般医から紹介された患者の90%が、専門医にかかれるのを13週間以内、また手術待ち18ヶ月以内とする」のが目標だそうです。待たされる期間がいくらなんでも一ケタ違うんじゃないか、と思うんですが、実際に英国在住の日本人が「扁桃腺で専門医で診察を受けることができたのが5ヵ月後、第2回目の診察はその3ヵ月後、手術予定はその4ヵ月後だった」と報告しています。風邪シーズンになると、かかりつけの一般医にかかるのにも2日待ちと聞きます。「脳死」・臓器移植を行なう一方で、国民全体に対する医療水準は、こんなに低いのです。我々は、このようないびつな医療を目指すのでしょうか。
ここで、話題は臓器調達事情に移ります。静岡県腎臓バンクは平成14年度事業計画書に、死後の腎臓提供者の募集及び登録に関する事業の細目として「腎提供登録者の申し込みを受け付け、登録台帳を保存し、医療施設・コーディネーターからの登録検索依頼に備える」と明記しています。 万一、この登録者が入院すると、「脳死」状態と診断される以前から臓器提供意思を家族に聞かなくても、検索して「臓器提供をもちかけやすい患者か、救命治療に手を抜ける患者か、脳死を促進する臓器保存処置を勝手に開始しても問題にされにくい患者家族か」が自動的にわかる仕組みです。
静岡県下では入院時に、なかには外来でも問診表にドナーカード所持の有無を答えさせる病院が増えているぞうです。臓器の摘出候補になりそうな患者がいたら、院内で問診表と照合することでもチェックできるはずですが、わざわざ静岡県腎臓バンクで「登録検索依頼に備える」ということは、担当医師らが問診表をみるまでもなく、勝手にコンピューター上で、すべての重症患者を対象に検索できるようにしている、ということでしょうか。
2002年の第38回日本移植学会総会でも、臓器提供者拡大の取り組み=ドナーアクションプログラムと院内臓器移植コーディネーターの設置が発表されました。
新潟県腎臓バンク・新潟県臓器移植コーディネーターの秋山 政人氏は、「院内コーディネーターが10病院に配置され、1999年10月〜2001年12月31日までに個票482を収集し、うちポテンシャルドナー87例、臓器提供オプションのドナー家族への提示21例、結果、献腎6腎だった」
浜松医科大学泌尿器科の太田原 佳久氏は、「2001年度に16病院で113の有効個票(ポテンシャルドナー情報)を収集し、そのうちドナー家族に臓器提供オプション提示は31件(提示率27%)、献腎を承諾されたのが7件(承諾率23%)だった。家族からの申し出2件、研究協力施設外からの提供2件をあわせると、2001年度の静岡県内での献腎は11件18腎だった。提供患者の主治医の意識が高まり、献腎のオプション提示率は増加している。結果的に大幅な献腎数の増加がみられ、過去最高の献腎数を得ることができた」
秋田県臓器移植推進協会の土方 仁美氏は、「8病院に26名が院内コーディネーターとして設置された。ここ2〜3年、努力を続けているドナーアクションプログラムのなかで、提供に結び付いた施設が少しずつではあるが増加してきている。今後、さらに努力をつづけていけば、現在の症例数を2倍にすることはそれほど困難ではないという印象を受けている。また臓器の配分も地域優先となったのでこれも追い風になろう」とドナーアクションプログラム、院内コーディネーターの「成果」を発表しています。
法的脳死判定マニュアルは、臨床的脳死判断の後にドナーの臓器提供意思を確認し、その後、家族に臓器提供の機会があることを説明し、臓器移植コーディネーターによる説明を受けることができることを説明する手順にしています。ところが、この「ドナーアクションプログラム、院内(臓器移植)コーディネーター、問診表による臓器提供意思確認、ドナー情報の登録検索」は、臓器移植法下の手続を無視することでしか行なえません。米国で臓器提供意思の確認を義務付けた統一献体法を、彼らは先取りしているのです。
2002年11月1日の衆議院厚生労働委員会で社民党の阿部 知子議員は、院内移植コーディネーター制度等について質問しました。答弁した高原健康局長は、「臓器提供の強要はしない、コーディネーターは一般の外来患者や入院患者に対してカードの所持の確認を行なわない」という趣旨の回答をしたのですが、その後も青森県三戸中央病院は、来年度から入院時の問診表でドナーカード有無を調査する予定など報道されています。臓器移植コーディネーターと厚生労働省も、臓器移植法に抵触する臓器獲得をしていると見なさざるを得ません。
医学図書出版が発行している「泌尿器外科」2002年5月号は、東京女子医大の寺岡 慧氏をはじめ名古屋大の大島 伸一氏など腎臓移植を推進してきた10人連名による「わが国における献腎移植の現状と今後の課題」を掲載しました。
「近い将来における問題点として、臓器移植法附則第4条の「当分の間、遺族が承諾しているときにおいても、眼球または腎臓を、脳死した者の身体以外の死体から摘出することができる」の『当分の間』が削除され、心停止の献腎においても、本人の意思表示が必須となる可能性がある。その場合は、心停止下の献腎は壊滅的な打撃をうけることにもなりかねない。この問題を克服する方策のひとつとして本人意思の役所へのコンピュータ登録が考えられる。諸外国の例からドナーカード所持率は20〜25%を越えることはないと予測され、定期的に(例えば国勢調査、健康保険証の更新、自動車運転免許証の取得ないし更新の際などに)国民の意思をコンピュータ登録ないし登録内容の更新を行なうシステムを構築することにより、潜在的な提供意思を掘り起こすことも可能となりうる。いずれにせよ状況を先取りして対処する必要があると考えられる」
と書いています。「本人の意思表示が必須となる可能性がある。その場合は、心停止下の献腎は壊滅的な打撃をうけることにもなりかねない」という危機感は、「脳死」下からの救命放棄や臓器摘出時の麻酔投与など、市民にまともに説明できないことを積み重ねてきたから、逃れることができないでしょう。
日本大学医学部附属板橋病院内科で、日大の医学倫理教育関係者が研修医9名にアンケートしたところ、ドナーカードを所持していたのは1名だけ、3名は「今後も持たない」と明言しました。
私が移植医と話す機会があった時に、先方から自発的に「私はドナーカードは持っていません。救命治療の経過に不安があるから、家族にもドナーカードは持たせないようにしています」と話されたのには言葉もないほど呆れましたが、その後、考え直してメールを送りました。「移植医と言ってもほとんどは外科医あるいは内科医ですから、移植を受けてしまった方、あるいは移植が必要とされる患者の病気を軽減するために、また移植以外の治療法を研究されるためにも、病態を研究するために移植に関わり続けられることは当然です。しかし、ご自身がドナーカードを持たず、ご家族にも持たないように言うほど移植医療に不信感を持っているのならば、積極的に移植医療に関与するのはお止めください。一般企業なら、いかがわしい手段で調達された資源を前提にして、事業を計画したりはしません。医療でも同じことです」と。
愛知県下で腎不全医療に携わるコ・メディカルスタッフ1030名を対象に「腎移植についての意識アンケート」が、腎移植に携わるコ・メディカル研究会によって1999年に行なわれました。対照アンケートも、1999年10月の名城大学参加者565名に行なわれました。その結果、
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腎移植を必要と考えるコ・メディカルは、学生数より数%上回っただけ。
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移植が必要な理由は「患者のQOLを考えて」と回答したコ・メディカルが最多の30%を超えたのに対して、学生は約2%と大差。
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「移植が最良の治療手段」としたコ・メディカルは20%を下回るのに対して、学生は40%を超えた。
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移植に反対の理由は、学生は「情報不足でわからない」が5割を超え、さらに「移植手術に不安」「他人の臓器をもらってまで」の回答で大部分を占めた。コ・メディカルの回答は「情報不足でわからない」は筆頭だが約2割、「移植手術に不安」「合併症が透析の方が少ない」「QOLは透析の方が高い」「他人の臓器をもらってまで」などに回答が分散し、「医療不信」と回答したコ・メディカルも1割弱存在。
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腎移植について学びたくないと強い忌避感を持つコ・メディカルも、非移植施設がほとんどだが8%いた。
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コ・メディカルに対する「自分が腎不全になったらどの治療法を選択しますか」には、40%が腎移植、33%が血液透析、16%が腹膜透析だった。この質問を所属施設別に見ると移植施設のほうが、腎移植を選択するコ・メディカルが少なかった。
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ドナーカードを持っているコ・メディカルは1030名のうち27%、移植施設のコ・メディカルは4割近い所持率で学生の約2倍だったが、非移植施設のコ・メディカルは学生よりも数%高い程度だった。
静岡県立こども病院で全職員対象の臓器移植に関する意識調査が行われたところ、移植のための臓器提供について賛成する人は70%、反対する人は4%だったのですが、臓器提供意思表示カードを持っている人は32%と、愛知県下のコ・メディカルと同様の水準です。
つまり、移植医療の実態を知っている関係者ほど、医療不信であり、移植医療の限界も知っている。それに比べて一般市民は移植医療に過剰な期待感を持たされている、ということです。
2002年3月26日に第12回脳死下での臓器提供事例に係る検証会議が開催され、「ドナー家族の心情等の把握(研究提案)について」が討議されました。国立精神・神経センター精神保健研究所の吉川名誉所長は、「純粋医学的な意味での脳死判定、そして移植が正当に行われてきたか否かということに関しては、これまでも十分にこの検証会議のほうでやられてきたと私は信じ
ておりますが、しかしご家族のほうにすれば、先ほどもちょっとお話がでましたように、やはりいろいろな意味でご家族は悩みを抱えておられますし、それに関して、それが元になってこの脳死移植というものが円滑に進まなくなるようなことがあるということがあるとすれば、それは非常に残念でございますので、やはりこうしたご家族の心情をどのようなかたちで私たちが把握し、そして脳死移植が円滑に進むようにしたほうがいいのではないかというふうに、やはり私は考えます」と述べています。「脳死」判定と移植の正当性に、疑念を持っているドナー遺族がおられます。
移植以外の治療法=移植回避法についても、触れておく必要があります。対象臓器が多く原因となる疾患も様々なので、専門家ではない私が調べることが難しいため心臓でお話します。心臓の容積を小さくして症状を改善する方法として、外科的に心臓の筋肉を切除する方法もあれば物理的に縛って同じ効果を求める方法もあります。自分の骨格筋を移植して心筋をサポートする方法もあります。内科的手段としてはミルノリンなど薬品開発も進められています。これらは心臓移植が必要になりそうな患者を、それぞれ数%づつ減らす効果があります。なかには心臓移植よりも手術中の死亡率が高かったり長期生存率が劣る外科手術もあり、最も重症な患者には適応できないなどの限界はあります。
移植回避法として、移植待機患者を減らすことに最も効果的なのは人工臓器のようです。3ヶ月〜6ヶ月以上の人工心臓使用で移植が不要になる患者は、世界中の症例の約10%弱となっています。国立循環器病センターの北村 惣一郎氏は「循環制御」第23巻第2号で、「近未来には(人工心臓)補助中の患者への心筋細胞移植や遺伝子治療が行われるであろう。人工心臓による機能改善の可能性を早期に予測する方法、人工心臓からの離脱を判断する確実な方法の開発。そのためには、何が心筋や間質に生じて機能が回復するのかメカニズムの解明が必要である。6ヶ月以上3〜4年にわたり、脳栓塞、脳出血や感染症の合併の少ない、日本人の体格にマッチした埋め込み型人工心臓の開発が緊繋の課題]としています。
臓器移植は重大な拒絶反応を起こさないように、臓器の適合性を合わせることが不可欠で、多数の候補者のなかからからレシピエントを選びます。このため、もともと潜在ドナー数を大幅に上回る移植待機患者が登録されるように、レシピエント選択基準が設定されています。ドナー不足こそが、移植医療に不可欠の仕組みなのです。ドナー不足、ドナー不足と喧伝していますが、ドナー不足が解消されることは永久にありません。そんな仕組みで移植医療を行なっているのに、「移植しか助かる方法はありません」と言うことは、安易な死亡宣告に等しい。移植医と言う前に医師である筈の人々は、患者を救命するに臓器移植以外の治療法開発を行なうのは当然の義務です。
組織移植に代わる手段としても、自己組織を培養するティッシュエンジニアリング技術が登場、東京女子医大の日比野氏が昨年、肺動脈の再建例を発表しています。
1990年の第3回脳死・脳蘇生研究会で大阪府立病院救急診療科の桂田 菊嗣氏が、有益なことを発言されていますので紹介します。「Pallis以来、脳幹死の用語や概念が脳死を説明しやすいという意見があるが、実は脳幹死の判定のほうが困難である。例えば呼吸停止ほど非可逆性があいまいなものはない。我々は、重篤な脳障害の種々の状態をあらわすとき、用語にいま少し慎重になると同時に、現症を客観的に把握して、そのままの言葉で表現するほうがいいのではないか。死の文字の入った脳死という用語自体にも、今になって疑問が持たれたりする。脳死議論が臨床診断学に終始していて、脳死の脳に何が起こっているのか十分究明されないかぎり、このような疑問は続くであろう」と話されました。
つまり
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「脳死」を判定するのは困難だから、「脳死」判定はできない。
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患者家族への説明に際して、脳死という言葉は使わずに現在の症状をありのままに説明して、理解を求める努力は医師は行なうべきだ。
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「脳死」体の脳の解剖、病理学的検討を救命治療を進歩させる目的も兼ねて進めないと、「脳死」議論は有益でない。
と言われたのだろうと私は理解します。世界中で極めて多数の「脳死」判定、臓器摘出が行なわれています。その一部で、脳の解剖に協力をお願いし検討すれば、短期間に有益な情報が集まるでしょう。そのような取り組みがなされるべき、と私は考えます。
医学的な死の定義、死の定義にもとづく脳死の定義、そして脳死の定義にもとづき脳死判定基準を検討する必要があります。私は脳死は発生しているが、現在の技術では正確に測定できないために括弧付きの「脳死」と書きます。技術上の限界から、実際には脳死は判定できない。従って現実的には、「1時間余りの心停止の後も視床下部神経細胞が生きていた」ならば、古来からの直感的な死の定義「動かなくなり、冷たくなった」を採用すべきことになります。臓器や組織の摘出も、この段階以降で検討していいのではないか。実質的に、ほとんどの臓器・組織は、摘出しても移植に適さない状態になりますが。
神経内科医の古川さんが「高次の中枢が障害されれば、下位の中枢が働く。脊髄にも中枢がある」と仮説を提示されていることを尊重するならば、古来の葬儀、今も一部の地域や皇族の葬儀で行なわれているように、臓器・組織摘出までさらに数日間待つべきであり、移植医療は廃止すべきかもしれない。「死とは、視床下部と体内臓器系の連携が絶たれた時である」の定義どおりの死直後に臓器提供するか、しないか、選択できるようにすべきでしょう。空想が過ぎたところで、終わりにいたします。
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