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「脳死」の最初の定義は、米国大統領諮問委員会諮問(1981)は「例え最善の医療をもってしても、身体機能の維持は不可能であり、通常、数日以内に(心停止による)機能停止が訪れる」というもの。当時の医療水準で不可逆的「深昏睡」が、「脳死」と定義された。
しかし脳死になったら「やがて心臓も停止するというのは、事実に反する」。UCLA医科大学のD・A・シューモンは論文「長期にわたる脳死」で、医学的なデータの裏付けが取れる175例の脳死患者の心臓が、少なくとも1週間以上、動き続けていた。そのうち80例が少なくとも2週間、44例が少なくとも1ヶ月、20例が少なくとも2ヶ月、そして7例が6ヶ月のあいだ心臓が動き続けていた。さらに2年7ヶ月が1例、5年1ヶ月が1例あり、最長では14年5ヶ月というケースがあった、と報告している。
14年5ヶ月も心臓が動き続けているのは、4歳のときに脳死になった男子。自宅で人工呼吸器をつけたまま(1998年時点)心臓は動き、成長し続けている。このほか退院して、施設や自宅で看護が続けられた例が5例あるという。
シューモンは
「長期にわたる脳死状態では、時間が経つにつれ、肉体の状況はむしろ安定してくる。身体のホメオスタシスは調整され、血流動態は改善され、栄養吸収が再開され、管理に手がかからなくなる。いわば、脳死の身体は安定飛行にはいる」
「今回の調査によって、明らかになったことは脳死になっても、かならずしも身体の統合機能は失われないということ、そして身体の統合作用は、脳という中枢臓器からのトップダウンの指令によって成立しているのではなく、臓器のあいだの相互のやりとりによって成立している、ということである」
「脳死になれば臓器摘出されるか、ただちに人工呼吸器のスイッチを切られる情勢下で、長期の脳死状態の例がこれだけ多く見つかったことの意味は大きい(長期の「脳死」状態になるであろう生命力の強い患者ほど、臓器摘出の候補にされる)」と報告している。
日本国内でも、臨床的「脳死」状態が5年続いた事例がある。CTを撮ると脳の融解状態が見える患者さんだったが、採血する時や、昼夜で血圧が変わった。心拍が一定になるなど、シューモンの論文と同じだった。「脳死」が身体の機能の破綻をもたらす、という「脳死」仮説の破綻を示している。
シューモンの言うように、脳だけあれば意識がある、というのは間違いだ。全脊髄麻酔で、脳に麻酔が行っていないのに意識が無くなることがあるように、意識は脳と体の関係の中で生じている。
米国では医療費が高く、医療保険に加入していない低所得者は負担が大きい。そして「植物状態」の患者を、本人の意思がわからないのに“不毛の人生=futile
life”と見なす風潮もある。「数日以内に死ぬ、意識のない不毛の人生ならば、使える臓器は使おうよ」という社会的理由から「脳死」判定、臓器移植が盛んに行われてきた。日本のように倫理的問題の論争は、活発ではなかった。
マスコミがいうように”日本は臓器移植の後進国”ではない。”かなり論議されている国(文責注:だから「脳死」判定、移植が少ない)”というのが正しい。
1999年にまとめられた「小児における脳死判定基準に関する研究(研究班長=竹内 一夫・杏林大学名誉教授)に、「脳死」判定の現状が現れている。回収調査奨励162例のうち、15例に「意識の記載がなし」、1例に「脳は活動の残存」、24例は厚生省脳死判定基準の必須検査事項である「脳波検査を行っていない」。
「脳死の判定は科学的にできる」と言っている医者が、科学的にやっていない。大きな病院でも科学的に検査をしていないのが、研究報告を読んで、まずショックだった。過去9例の「脳死」・臓器移植9例のほとんどに、治療経過、「脳死」判定に問題がある。日本の医療機関で、「脳死」判定を科学的にできるかと聞かれれば、(竹内基準の判定でさえ)科学的にできないと言わざるをえない。
特に、小児の脳は特異性が高く、「臨床的脳死例で脳波活動が残存」「脳血流停止例で脳波活動」「聴性脳幹反応消失後の回復例」が報告されている。過去30年間に低体温法など蘇生技術も進歩してきた。昨日の「不可逆(的心停止、深昏睡)」が今日は「可逆」になっている。
ドナー/レシピエント比は米国(1996)で51,597人対5,411人(文責注:日本の移植希望登録患者数は2月末で約13,447人)。臓器に価値がつけば、売られるのは人の常で、臓器売買が公然化している国もある。
米国では子供の行方不明が年間約1000人もある。先日、南米で日本人が人違いで村人から殺害される事件があったが、この村では「人さらいが子供を誘拐して臓器を盗る」とのうわさが広まっていて、誤認されたためだ。
「脳死」・臓器移植医療は、悲しい部分を含んでいる人の暗い部分を出してしまう。医療はきわめて社会的・経済的な行為で、日本の医者は幻想を持っている。社会的影響を考えていない医師が多い。
現行法は提供者本人の善意(good will)にもとづく移植を規定しているが、臓器提供が少ないことから、移植推進側からは「家族の承諾があれば移植できる」ようにしようという提案もある。これは「家族の承諾による治療決定への拡大」「弱者切捨て」につながる。
ヨーロッパで「脳死体は国家の所有に属する」と、(法律で)決めている国もある。「脳死」体の所有権論にもとづく移植は、政府による「脳死」状態以外の寝たきりの人など、弱者切捨てに広がることを心配している。現に、国際的な学会で私と論争したスタンプ博士という人は「植物状態からも移植できるように、(提供者本人の意思を尊重している)日本の失敗を見守っている」と本音を公言している。
「不運にして脳死になった人の、人間の尊厳を保障した後で、初めて移植を待つ人の人間の尊厳が考慮されるべき」と言われるが、その通りで、決してその逆であってはならない。
ウェルニーホフマン病という難病がある。欧米では“不毛の人生=futile
life”であるとして人工呼吸器を外していたが、4年前に電子メールなどで「日本では人工呼吸器は付けているよ」と連絡したことも影響したのか、現在では人工呼吸器をつけるようになってきた。
日本でも20年前に人工呼吸器をつけたT君が、来年1月に満20歳になり、誕生日を祝う予定だ。点的で小さいかも知れないが、世界も変わってきている。「脳死は人の死か」と時間をかけて議論してきたことは、無駄ではなかった。来世紀は日本からの発信で、変えられる環境になりそうだ。光も見えている。
問い:強い蘇生力のある小児なのに、なぜ小児脳死判定基準案の結論になるのか。見直すべきではないのか。
答え:唯一、「脳死」から戻った人がいないことを理由として、判定基準の妥当性を主張している。積極的な治療をしなかったら、死ぬのは当たり前だ。あの報告書は論理性がない。最初から結論ありき、の判定基準作りで、強い政治的圧力のもとで書かれたようだ。
問い:「脳死」・臓器移植問題は難しく、移植を希望している親御さんもいる。どうやってわかりやすく伝えてゆけるか、困っている。
答え:移植だけでしか救えない、ということはありません。
問い:臓器移植は、生きている人から臓器を盗っている、ということか。
答え:そうです。
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