(文中敬称略)
今回は、古関裕而記念館において実施している古関音楽楽曲解説を紹介しましょう。
別項「古関音楽メロディー解説」もご覧ください。
1 元気で行かうよ 昭和16年
松竹映画「元気で行かうよ」の主題歌で、映画は昭和16年に公開されました。
鉱山関係に勤務する仲の良い同僚2人は、貧しくても真面目に働いておりましたが、そんな彼らにも恋人ができ、人生の転機が訪れます。
歌は戦時中を思わせる元気のよさが聞き所ですが、しかしその軽妙洒脱な「古関ぶし」の節回しは見事です。
2 雨のオランダ坂 昭和21年
この歌は松竹映画「地獄の顔」の主題歌で、作詞は西條八十さん、作曲は古関裕而さん、歌を渡辺はま子さんが歌っております。
映画は昭和22年に公開され、港町長崎を舞台にして、元船員の主人公が、様々人生経験を経て立ち直るというあらすじです。
ところで主題歌「雨のオランダ坂」は、昭和21年、大阪で上演された菊田一夫さん作の新国劇「長崎」のために作曲された曲で、間奏には「蝶々夫人」の一節を入れるなど長崎情緒を加えたワルツとなっております。
そのため映画と主題歌とではイメージや言葉が異なりますが、そのミスマッチがまた一つの魅力となっております。
3 「とんがり帽子」 昭和22年6月 作詞菊田一夫 歌音羽ゆりかご会
NHK連続ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」は、昭和22年7月から昭和25年12月までの3年6ヶ月、あわせて790回放送された。
この番組はCIE(連合軍総司令部の民間情報教育局)の指令で、戦災孤児や浮浪児救済キャンペーンの一環として放送が企画され、主題歌「とんがり帽子」を始めとした音楽は、古関が担当し大好評を博した。
この番組での一方の主役はハモンド・オルガンで、古関が縦横にこれを使いこなし、菊田によって「神業」と高く評価された。
4 白鳥の歌 昭和22年
この歌はNHK連続ラジオ・ドラマ「音楽五人男」のテーマ・ソングとして作られ、映画にも挿入されました。ドラマの原作者長谷川幸延の希望で、歌人若山牧水の短歌を作曲したものです。歌は藤山一郎さんと松田トシさんが歌い、2人の二重唱は見事です。生前の古関さんのお気に入りの歌曲の一つでした。
丘灯至夫さん著の『歌暦五十年』では「一体古関メロディーは、レコード発売直後はパット売れず、忘れた頃になると流行すると言われている。東北特有の鈍重でねばり強い性格が、こんな所にも現れるのかもしれない」(p583)と批評していますが、当たらずとも遠からずと言えるのではないでしょうか。
5 夢淡き東京 昭和22年
NHK連続ラジオ・ドラマ「音楽五人男」がラジオ放送で大好評を博したため、昭和22年6月、東宝で映画化されました。映画化にともない作曲された曲に、サトウ・ハチローさんが後で詩をはめましたが、短調から長調、そしてまた短調に転調するという凝った構成の歌にもかかわらず大ヒットしまして、のど自慢でもよく歌われました。
当時は戦後復興のまっ最中で、東京は次第に活気を取り戻してはおりましたが、庶民は依然として窮乏生活を強いられ、東京を称えたこの歌は、当時の人々の感性にも合い、現在も幅広く愛唱されております。
6 栄冠は君に輝く 昭和23年
昭和23年の学制改革により、それまでの「全国中等学校野球大会」は「高等学校野球大会」に変わりました。それを機会に朝日新聞社は、大会歌を一般公募したところ、加賀大介さんの作詞が採用され、古関さんが曲を付け、「栄冠は君に輝く」が大会の歌として正式に採用されました。
コロムビア三羽カラスの一人である伊藤久男さんが堂々とこの歌を歌い、60年を過ぎた現在でもスポーツ音楽や行進曲の代表曲として、全国各地で演奏され歌い続けられております。
7 「長崎の鐘」と「新しき朝の」 昭和24年 作詞永井隆
永井隆博士の子息永井誠一(まこと)は「長崎の鐘」を次のように解説されている。
《古関裕而さんは長崎の鐘を「死者を弔う鎮魂歌として作曲した」とおっしゃられ、藤山一郎さんも「長崎の鐘を歌うと、賛美歌を歌ったように敬虔な気持ちになる」とも言われている。この詩は、サトウ・ハチローさんが『長崎の鐘』をお読みになり作詩されたもので、最初池真理子さんが歌ったのが印象的であった。この歌は女歌だが、2番目の歌詞の「召されて妻は」の部分を女が歌うのはおかしいと言われ、藤山さんが歌うことになったと言われている》
「長崎の鐘」発表後、古関と永井の親交は深まり手紙の往復が続く。古関自伝では「終戦記念日に、永井博士はマリア像を描き、短歌を添えた奉書の墨絵を送ってくれた」とある。
その短歌には次のような永井の心境が歌われていた。
原子野に立ち残りたる悲しみの 聖母の像に苔つきにけり
新しき朝の光のさしそむる あれ野にひびけ長崎の鐘
古関は直ちにこの短歌に美しい曲をつけ、手紙とともに永井に送り届けた。その時の様子を永井は次のように書き残している。
《「新しき朝の」の作曲、まことにありがとうございました。12月3日式場(隆三郎)博士と池真理子さまたちの御一行は淡い月の光の中を大きな菊の花束をかかえて、バナナの茂る如己堂(にょこどう)をお見舞い下さいました。あなたのお手紙と美しい楽譜とをお渡し下さいました。私はびっくりし恐縮いたしました。拙い歌にこんな美しい曲をつけて頂いたことは何というありがたいことでしょう。(以下略)1949年12月13日》
永井の前で池真理子が披露した、古関の「新しき朝の」と同名曲は、同時期に藤山一郎によって作曲され、歌われてもいた。古関は藤山に対する礼儀もあってか、永井に直筆楽譜を送っただけで、その発表を差し控えていた。しかし平成6年になって、古関裕而記念館の志賀英子がその楽譜をみつけ、池真理子が歌って以来45年ぶりにその美しいメロディーが甦った。(『古関裕而物語』)
8 イヨマンテの夜 昭和25年
菊田一夫作詞、古関裕而作曲の「イヨマンテの夜」は、昭和25年に発表されて空前の大ヒットとなり、伊藤さんが大歌手としての地位を確立した曲であります。
この歌はもともと「鐘の鳴る丘」の中の、山男のメロディでしたが、菊田さんがそのメロディを気に入り、菊田さんが歌詞をつけて発表されました。
この曲の節回しはかなり難しいものでしたが、古関・伊藤コンビによる戦後最大のヒット曲となり、当時の素人歌合戦では、出演者の8割がこの歌を歌って審査員を困らせたとのエピソードがあります。
9 「あんずの花」 昭和25年 NHKラジオ歌謡 作詞薮田義雄
この曲はNHKラジオ歌謡として発表された歌曲で、作詞は薮田義雄である。
歌詞はロマンチックな恋愛歌で、「君の名は」を髣髴(ほうふつ)とさせるあらすじの中に、男女のすれ違いの愛を歌っている。恋人を「杏の花」になぞらえ、恋人の美しさと恋の哀しさを表現している。
なおNHKラジオ歌謡は昭和25年前後に多く発表され、著名な曲としては「白い花咲くころ」(歌岡本敦郎)や「さくら貝の歌」「山のけむり」などが誕生している。
10 「あこがれの郵便馬車」 昭和26年 作詞丘灯至夫
この作品は丘灯至夫とのコンビで作った乗り物シリーズの第一作である。この曲の発表後「高原列車は行く」や「人工衛星空を飛ぶ」などの乗り物シリーズを作り、《最後に残ったのは「霊柩車の歌」だと二人で笑った》と自伝にはある。
丘は「郵便馬車は実際には存在しないが、夢の世界、ロマンの世界として作詞した」と回顧しているが、郵便局から郵便局への荷物の配達に郵便馬車が実際に使用されたという。
11 「母を想えば」昭和28年 作詞西條八十 三越ホームソング 歌長門美保
昭和28年、三越デパートの岩瀬英一社長の肝いりで三越ホーム・ソングが誕生した。当時巷に氾濫していた「不健全な歌」に対して、楽しい、美しい歌を作りたいとの三越社長の意見で、作詞はすべて「芸者ワルツ」などで有名であった西條八十、作曲は古関のコンビで、3年間で合計13曲の歌が誕生した。
この「母を想えば」は三越ホーム・ソングの最初の曲で、歌は長門美保が歌っている。
12 「花咲く街」昭和28年 三越ホームソング 歌二葉あき子
この歌は三越ホームソング第3番目の歌で、二葉あき子が歌った。昭和28年の中頃から、このシリーズからも「花咲く街」などが巷間に次第に歌われ出し、岩瀬社長も安堵したという。
この歌には花やチョウチョなどを登場させ、西條自身の「東京行進曲」(昭和4年)や門田ゆたかの「東京ラプソディー」(昭和11年)にも似た、独特のハイカラ味を出している。
13 「今日はよい日」 昭和28年 三越ホームソング 歌安西愛子
この歌は三越ホームソングの第10番目の歌で、安斎愛子が歌った。
三越ではホームソングの「のど自慢大会」を企画し、東京放送から放送している。しかし岩瀬社長の逝去により、3年間13曲でこの企画は終了したが、古関は「健全な歌曲を社会に広め得た」と岩瀬に感謝している。
この「今日はよい日」は、「日常的な生活の中にこそ幸せを見つけ、称えよう」という健康で前向きな歌詞が高く評価されよう。
14 高原列車は行く 昭和29年
この歌は、古関さん、丘灯至夫さん、岡本敦郎さんによる乗り物シリーズ第3弾の作品です。前作の「あこがれの郵便馬車」にも増して、明るくほがらかなホームソングに仕上げられ、教科書にも採用されております。
高原列車とは磐梯高原の沼尻鉄道がモデルとなっており、丘さんは幼少の頃、しばしばこの列車に乗り、湯治に出かけておりました。
15 「ふるさとはいつも瞼に」昭和39年 作詞野村俊夫
昭和39(1964)年は、東京で東洋初のオリンピックが開催された年である。
古関はこの年、「オリンピック・マーチ」を晴れの檜舞台で発表し、世界的に注目を集めた。
一方福島市出身の作詞家野村俊夫は、この年還暦を迎え、「ふるさとはいつも瞼に」という歌謡詩を作詞し、故郷への思慕の情を切々と歌い上げていた。そしてこの歌詞に美しい曲をつけたのが古関である。
古関裕而記念館の展示品の中に、この曲の歌詞と楽譜を見ることがでるが、残念なことに、この曲はレコード化はされていない。
なお古関の竹馬の友である野村は昭和41年、61歳の若さで逝去した。
16 「阿武隈の歌」 昭和41年 作詞若山牧水
大正5年、若山牧水が福島を訪れたとき作った短歌、「つばくらめちちと飛びかひ阿武隈のきしの桃のはな今さかりなり」を叙情豊かに歌い上げた曲。
昭和41年、市内の有志によって福島市の板倉神社にある阿武隈川畔に歌碑が建立された、典型的なご当地ソングである。
(平成20年1月9日)