■ビンチェンツォ・シーフォ(ベルギー、OMF)
 そのファーストネームよりも「エンツォ」という愛称の
方でより広く知られる。80年代ベルギーの中核を担った
名選手。
 ずば抜けた視野の広さと華麗なテクニックを持ち合わせ
たシーフォは、現代サッカーの申し子というよりは、古典
的なゲームメーカータイプだった。「20世紀最後の10
番」という呼称は、彼に対する賛辞とともに、その限界を
も表す。しかしひとたびボールを持つや、そのパスのセン
スで観客をうっとりさせないことはなく、ファンタジーに
満ち溢れたプレーで多くのファンをかち得た。
 シーフォはラテン的なタイプだったが、それも当然で、
両親はベルギーに出稼ぎに来ていたイタリア人だった。ベ
ルギー側の強い要望もあって、18歳になる年に国籍を変
更した。175センチ70キロと、大柄でタフな選手の中
では頼りなげだったが、10代の頃から飛び抜けた才能を
示し、ユース年代で既に名門アンデルレヒトのレギュラー
だった。トットナムにPKで破れはしたものの、UEFA
カップの決勝でもプレーしていたほどだ。すぐさま代表に
抜擢されたことは、その才能に対する期待の大きさを表し
ている。
 ベルギーの判断は正解だった。直後の欧州選手権(84
年)に間に合ったシーフォは、最年少選手として出場した
のち、2年後のメキシコ・ワールドカップで本領を発揮し
た。巧みなゲームメークと得点感覚を見せ、自ら3得点を
あげる活躍で、ベルギー史上最高位となる4位に大きく貢
献したのだ。生涯を通じて、これは彼にとっても最高の成
績となり、同時に20歳にして世界的な名声を獲得するに
至った。
 この活躍が買われてインテルに引き抜かれたが、実力を
発揮するには若すぎた。フランスへ渡り、ボルドー、オセ
ールで本来のプレーを取り戻したあと、25歳で再びイタ
リアに戻り、トリノの一員となった。ここではインテル時
代よりはるかに素晴らしいプレーを見せたが、91ー92
シーズン、チームをUEFAカップ決勝へと導きながら、
財政難のためモナコへ放出された。両親の故郷はどうも水
が合わなかったらしい。モナコ在籍最後となった97ー9
8シーズン、優勝を手土産にベルギーへ戻り、アンデルレ
ヒトとシャルルロワでプレーした。
 晩年は頻繁に負傷に泣かされ、持病の恥骨炎の悪化もあ
って、今期限りでの引退を表明している。15年もの長き
に渡る間、キャップ数を84試合に延ばし、4度のワール
ドカップに出場したが、「シーフォ頼みのチーム」が目ざ
ましい成績を残すことはなかった。
 それでもルーマニアのハジと並び、80年代最高のミッ
ドフィールダーと評価される事実は変わらない。
 1966年2月19日生まれ。

 ベルギーの貴公子シーフォは、シフォンという名前で登
場する。貴方のチームが発展途上にあるなら、10番を任
せるには最高の人材だろう。

 

 

 

 

■ウーベ・ゼーラー(西ドイツ、FW)
 ゼーラーがスタジアムに姿を現したとき、観客は「ウー
ベ、ウーベ」と合唱して、彼への愛着と得点への期待を表
現した。西ドイツ代表のユニフォームに身を包んだゼーラ
ーは、都合43回その声援に答えた。60年代から70年
代にかけて、最強のストライカーだった。
 「デア・ディッケ(ふとっちょ)」という愛称が示すよ
うに、ゼーラーは170センチ75キロと、小柄でずんぐ
りとした体格。髪が薄く、オヤジ然としていて、純朴で飾
らない人柄は誰からも好かれた。そのためしばしば「ウン
ス・ウーベ(俺たちのウーベ)」と呼ばれることもある。
西ドイツ・サッカー史上、これほど国民に愛された選手は
他に例を見ない。
 ゼーラーは決してテクニシャンではない。ただしストラ
イカーとしての才能は傑出していた。体格がら得点をあげ
るのは難しかろうと思われたが、ジャンプ力に優れ、やす
やすと高い打点からゴールを決めた。ファイティング・ス
ピリットに富み、決して諦めない勝利への執念で、西ドイ
ツとハンブルガーに数々の貴重な勝利をもたらした。
 18歳のとき代表デビューした試合では、イングランド
に3ー1で破れた。66年のワールドカップでは、決勝で
イングランドに土をつけられた。ゼーラーはこの4年後に
雪辱をはらした。準々決勝で0ー2とリードされたのち、
ベッケンバウアーが1点を返したあと、目の覚めるような
バックヘッドで同点にし、バンクスとチャールトン(途中
交代)を欠いたディフェンディング・チャンピオンの野望
を砕いた。
 このゴールで名を残したゼーラーだったが、彼には語り
継がれるに足る資格がある。58年大会から4回連続で出
場し、うち66年、70年はキャプテンとしてチームを率
いた。優勝こそ経験しなかったが、4回の大会ですべて得
点しているのは、彼とペレのたった二人しかいない。
 父がハンブルガーの選手だったこともあり、引退後の会
長職も含めて、文字通り「生涯のすべて」を同クラブで過
ごしている。イタリアやスペインからの、どのような甘い
誘惑も、彼の忠誠心を覆すことはできなかった。プロリー
グ発足以前から活躍し、ドイツ選手権とドイツ・カップを
制覇。ブンデスリーガが始まると、そのシーズンに記念す
べき得点王に輝いた。67ー68シーズンには、カップ・
ウィナーズ・カップの決勝に進出するなど、長きに渡って
クラブの屋台骨を支え続けた。
 数々の大怪我に見舞われながら、その度に不屈の闘志で
立ち直り、「ゲルマン魂の権化」「西ドイツの太陽」と賞
賛され、当時は最多記録だった代表72試合にプレーした
ゼーラーは、36歳でユニフォームを脱いでいる。
 ところで、代表試合を含む公式試合で551ゴールを達
成した彼の記録は、とうてい実現不可能と思われながら、
あまり時間を置くことなく、ある男にあっさり破られるこ
とになった。低身長でずんぐりした体格だが、ヘディング
に抜群の強さを見せる。奇しくもゼーラーと全く同じ特徴
を持つ彼のことを、我々は「爆撃機」という名前で知って
いる。
 1936年11月5日生まれ。

 ゲルマニアの得点王・ゼーラーは、ズーラーという名前
で登場する。彼は変わらぬ忠誠心で、クラブのためにゴー
ルを量産し続けるだろう。

 

 

■目次
■名選手伝説TOPへ ■序文
■第1回  シルビオ・ビオラ ■第2回  ピーター・シルトン
■第3回  ジジ ■第4回  カールハインツ・フェルスター
■第5回  ビンチェンツォ・シーフォ ■第6回  ウーベ・ゼーラー
■第7回  ジャッキー・チャールトン ■第8回  フリッツ・ワルター
■第9回  アルツール・フリーデンライヒ ■第10回 ルート・フリット
■第11回 アルベルト・スペンサー ■第12回 ベルント・シェスター
■第13回 ダンカン・エドワーズ ■第14回 サンドロ・マッツォーラ
■第15回 エンリケ・オマール・シボリ ■第16回 ジミー・グリーヴス
■第17回 エリック・ゲレツ ■第18回 ヘルムート・ラーン
■第19回 ニウトン・サントス ■第20回 マルコ・ファンバステン
■第21回 ホセ・マヌエル・モレノ ■第22回 イーゴリ・ベラノフ
■第23回 ハンス・クランクル ■第24回 ボビー・ムーア
■第25回 カールハインツ・シュネリンガー ■第26回 アデミール
■第27回 ジャン・マリー・パフ ■第28回 ギュンター・ネッツァー
■第29回 ガエタノ・シレア ■第30回 エウゼビオ
■第31回 マティアス・シンデラー ■第32回 ベルティ・フォクツ
■第33回 トスタン ■第34回 オレグ・ブロヒン
■第35回 ヨハン・ニースケンス ■第36回 レオニダス

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