■アルベルト・スペンサー(エクアドル、FW)
 サッカー大陸、南米にも序列が存在する。ブラジル人以
外の南米人は口を揃えて、「王国」が強いのを国土の広さ
のせいにする。プライドの高いアルゼンチン人を嫌い、ボ
リビア人を田舎者扱いするのも常だ。そしてサッカーの最
も弱い国として、真っ先にエクアドルとベネズエラの名前
を挙げる。
 アメリカの影響が強く、野球が盛んなベネズエラは論外
だが、エクアドルはワールドカップに出場すらしたことが
ない。1938年から75年まで、国際試合で8勝しか挙
げられなかったほどだ。本項の主役、アルベルト・スペン
サーは(何やら英国人めいているが)紛れもなくこの国の
出身であり、過去と未来を通じて最も才能に恵まれたエク
アドル人だろう。21世紀について保証できないのは確か
だが、誰も追い付けないと断言できるほど、業績と評価が
ずば抜けていることは事実だ。
 スペンサーは60年代最高のゴールゲッターで、185
センチ78キロという、南米人の基準からかけ離れた大柄
な体格を誇った。機敏でスピードに恵まれ、鋭い得点感覚
とシュート力でゴールの山を築いた。59年にグアヤキル
で行われたコパ・アメリカの大会において、エクアドルと
対戦したウルグアイのスカウトに見初められ、所属クラブ
だったエベレストから引き抜かれた。当時23歳、これが
契機でスーパースターへとのぼりつめていく。
 スペンサーはエクアドル代表として17試合にプレー、
4得点を挙げているが、とるに足りない成績なのは明らか
だ。反面、移籍先の名門・ペニャロールではそれを払拭し
てあり余る活躍を見せた。10シーズンの在籍中、7度の
リーグ優勝を経験し、自身は得点王に4度輝いた。61年
と66年のインターコンチネンタル・カップ(トヨタカッ
プの前身)で優勝し、世界一。準優勝に終わった60年も
含め、3試合で5得点を挙げる荒稼ぎぶりだった。
 だがその真価が最も発揮されたのは、南米最高の権威と
されるリベルタ・ドーレス杯だ。記念すべき第1回大会で
優勝、ホームでは決勝ゴールを入れた。以後、ペニャロー
ルで47ゴール、71年から在籍したバルセロナ(エクア
ドル)で6ゴール、計54ゴールを決めたのはスペンサー
ただ一人で、誰も追いついた者はいない。ブラジルを始め
とする南米全土で、非常に強い尊敬を受けるのはこのため
だ。
 その全盛期がペニャロールの黄金時代と重なるため、ウ
ルグアイのサポーターに大変愛され、モンテビデオのエク
アドル領事の椅子が用意されたほどだった。またその才能
が高く買われるあまり、62年にウェンブリーで行われた
ウルグアイ対イングランドの試合に特別に呼ばれ、ウルグ
アイチームの一員として出場。2ー1で破れたものの唯一
の得点を入れた。この引き抜きにも近いやり方はさすがに
諸国に評判が悪かったので、空色のユニフォームを着たス
ペンサーは、練習試合を含む3試合だけで終わった。現在
このイングランド戦は公式試合には認められていない。
 71年、34歳でエクアドルへ戻り、決して強いとはい
えないバルセロナを牽引、準決勝まで駒を進めた。もっと
もこの1年でユニフォームを脱ぎ、自身は片手間にやって
いた領事の仕事に専念することを選んだ。
 1937年12月6日生まれ。

 南米の雄、スペンサーは、ベンサーという名前で登場す
る。貴方の街で、彼が熱狂的に迎えられる日は来るだろう
か?

 

 

 

 

ベルント・シュスター(西ドイツ、MF)
 ともすれば規律を重視しすぎがちになるゲルマンに、重
要な攻撃のアクセントを与える指令塔。80年代西ドイツ
を代表する真の天才。
 「エンジェル」という呼び名を貰ったように、貴公子の
趣を持つシュスターは、正確無比なロングパスが持ち味だ
った。181センチ72キロ、スマートで力強い身体に恵
まれ、右サイドから軽く蹴ったクロスがライン際に楽々届
くほど、キックのパワーは他を圧倒した。巧みなボールキ
ープからの突破にも冴えを見せ、たびたび強いミドルシュ
ートでゴールを脅かした。何より、ブロンドの長髪を振り
乱し、柔らかいタッチでボールを操る姿は、さながら一枚
の名画を観るかのようであった。
 10代のうちに1FCケルンでトップデビューしたが、
ヨーロッパ全土に名を轟かすのに時間はかからなかった。
20歳で代表入りし、80年の欧州選手権ではゲームメー
カーとして堂々の主役を演じた。チームを優勝に導いて評
価を高め、この年のバロンドール投票で2位に食い込むな
ど、一躍スターダムにのし上がり、大会後はすぐさまスペ
インのバルセロナに引き抜かれた。
 81年、移籍した最初のシーズンに、ゲームメーカーと
してスペイン・カップを制し、83年に2度目の栄冠に輝
いた。リーグ優勝は84ー85シーズン。翌年のチャンピ
オンズ・カップにも主力として出場、決勝にまで進出した
が、ステアウア・ブカレストの前にPK戦で破れた。この
時、イングランド人のベナブルス監督と戦術上の意見の食
い違いを見たため、途中交代させられる憂き目にあう。の
みならずヌニェス会長とも衝突したせいで、翌年は飼い殺
しにされ、出番が与えられないという不遇のシーズンを過
ごした。
 とはいえ、まだ28歳だった彼には余力が残っていた。
89年にバルサ最大のライバル、レアル・マドリードの一
員となり、そのシーズンの2冠、3年連続のリーグ優勝に
大きく貢献した。だがレアルでの生活も、ウェールズ人の
トシャック監督との確執から、わずか2年で終わりを告げ
た。次の行き先はアトレティコ・マドリード。これによっ
てシュスターは、スペインの3大クラブでプレーした初め
ての外国人選手となった。のみならず91、92年にスペ
イン・カップを制したことで、3つのクラブすべてでタイ
トルを獲得、その能力の高さを改めて証明するかたちとな
っている。スペインから帰国後は、バイヤー・レバークー
ゼンで36歳まで過ごした。
 欧州屈指の評価にもかかわらず、シュスターは代表とし
て21試合に出場したに過ぎない。これは彼自身が、母国
のユニフォームを着ることに熱心ではなかったせいだ。ベ
ッケンバウアー監督がスペインに赴き説得したにもかかわ
らず、遂にワールドカップでプレーすることはなかった。
その意味でデステファノやベストらと同じ側に属するが、
自ら拒んだという点でかなり異色の存在と言えるだろう。
 1959年12月22日生まれ。

 金髪の天使シュスターは、シェスターという名前で登場
する。貴方には彼を使いこなす自信があるだろうか?

 

 

■目次
■名選手伝説TOPへ ■序文
■第1回  シルビオ・ビオラ ■第2回  ピーター・シルトン
■第3回  ジジ ■第4回  カールハインツ・フェルスター
■第5回  ビンチェンツォ・シーフォ ■第6回  ウーベ・ゼーラー
■第7回  ジャッキー・チャールトン ■第8回  フリッツ・ワルター
■第9回  アルツール・フリーデンライヒ ■第10回 ルート・フリット
■第11回 アルベルト・スペンサー ■第12回 ベルント・シェスター
■第13回 ダンカン・エドワーズ ■第14回 サンドロ・マッツォーラ
■第15回 エンリケ・オマール・シボリ ■第16回 ジミー・グリーヴス
■第17回 エリック・ゲレツ ■第18回 ヘルムート・ラーン
■第19回 ニウトン・サントス ■第20回 マルコ・ファンバステン
■第21回 ホセ・マヌエル・モレノ ■第22回 イーゴリ・ベラノフ
■第23回 ハンス・クランクル ■第24回 ボビー・ムーア
■第25回 カールハインツ・シュネリンガー ■第26回 アデミール
■第27回 ジャン・マリー・パフ ■第28回 ギュンター・ネッツァー
■第29回 ガエタノ・シレア ■第30回 エウゼビオ
■第31回 マティアス・シンデラー ■第32回 ベルティ・フォクツ
■第33回 トスタン ■第34回 オレグ・ブロヒン
■第35回 ヨハン・ニースケンス ■第36回 レオニダス

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